年別アーカイブ: 2015

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試漕

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春から仕事の隙を縫って型を起していた新しいカヤックが完成し、色々なテストをするために洞爺湖に出かけてきました。同じような手漕ぎの小舟でも、これまで作って来たツーリング用のカヤックと違って、いわゆるレクリエーショナルカヤックというやつで、求められる条件が全く異なります。 速く進む必要は無い代わり、ファミリーや釣り目的の人が安心して漕げることが最優先。それならそれで思いきり遊びに徹してと、計画段階からつぎつぎと幅広い要素を取り込み、様々なオプショナルパーツを組み合わせることで10通り以上の用途に対応する、これまでにないカヤックになりました。 画像は、キッズシートを取り付けて2人+子供のオープンカヤックですが、フィッシングやセイリングギアとしてそれぞれ1人用2人用に組み替えられる、多用途とかコンポーネントとでも頭に付けたいレクカヤックの誕生です。こんなことに没頭しているあいだに季節は走り過ぎ、道内各地から雪の便りが届くようになりました。 冬が来ます。寒気や積雪に負けないための準備を始めなければなりません。

十勝・行き当たりばったり

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急に思いついて、カミさんと二人+犬で十勝方面に出かけてきました。 いや、とくに計画していた訳ではありません。十勝に行こうかというのさえ出発の1時間前、朝の情報番組を見ていて何となくそうなったというだけのこと。 あちこちの道の駅などに立ち寄りながら、ぶらっと向ったのがTVで知った新得町のレストラン。「森の中の赤い屋根のログハウス」って、あまりにも決まり過ぎでオイオイという感じでしたが、まあまあのお味のソバのガレットにいちおう満足。途中、新得の町で見かけた「新得そば祭り」の看板は、明日の開催を知らせていました。 さあ、明日の昼までどうやって過ごす? またまた無計画に走り始めて(ほんとは懐かしい思い出の場所や行ったことのない景色を見せてやりたかったんですけどね)鹿追から然別湖、幌鹿峠を越えて糠平湖、そしてゴーストタウンの十勝三又から三国峠へ。 山の上ではもう初雪という情報があったのに、結構な標高ながらここではまだ紅葉がいまひとつ。 それではと山を下りて、四半世紀前からこちらに来れば立ち寄る帯広のなじみのレストランを目指すも、「本日貸し切り」でアウト! まあ無計画なんだからこんなもんでしょ。

9月19日

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「やったぞ、やった!安保関連法案はついに成立だ。憲法なんか変えなくたって、ちょっと頭を働かせて数字を使えばこの通り。わが陣営の議席数、200時間超の審議時間に60日ルール。もうこれで当分は答弁で冷や汗をかくこともないし、外で騒いでいるバカ共も少しは静かになるだろう。思えば春に米議会で約束を口にしてから5ヶ月間、判決文をねじ曲げ、学者や法曹界の違憲の意見を封殺し、根拠の無い危機感を煽り、テキトーに作った具体例を押し通し、苦労して党内や野党の反対勢力を押さえ込んだ甲斐があった。正しい決断は時間を掛けりゃいいってもんじゃない。いまこのタイミングでの一気呵成が成功のもとだ。これで正式に悲願だった米軍との軍事同盟が果たせたし、来週は大手を振ってアメリカ詣でが出来るってもんだ。」姑息で傲慢な、この国のトップとその取り巻きが、国際情勢の変化を理由に我が国のかたちを変えてしまった。 去年の暮れに小選挙区制度を生かして自民党が大量の議席を取った際の争点は消費税一色で、集団的自衛権などはまだ覆いが被せられた状態だったというのに、4月中頃から急に鎌首を持ち上げ始め、湧き上がる憲法違反の声を無視しながら、思惑

シゴト

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写真家であり映画監督であり獣医師であり文筆家でもある竹田津実さんは、長年の仕事の積み重ねでキタキツネの存在を身近なものとして定着させ、それまで「北海道といえばヒグマ」一辺倒だったイメージまでも変えてしまった。 そのキツネの先生が、おそらく一番やりたかった仕事としての写真集「AFRICA」をまた読み返した。そして、また仕事というものの本質を、ズンと突き付けられてしまった。 たくさんの著作があるなかで、この本だけは格別な思い入れがあるようで、「これはボクのワガママのかたまりなんですよ」と自嘲気味にその話題から引っ込めようとするとき、至福の笑みが顔面に出ることにおそらく本人は気付かれていない。 子供の頃からの憧憬だったアフリカに、「家が何軒も建つほどのお金を使ってしまいました」と言いながら30回も通い詰め、自分なりの句切りとしてして平凡社から出版されたこの写真集。 自分でも法外なと言う1万円という価格で、他人の評価も採算も気持ちいいほど全く無視。アフリカを掴もうとする画像や文ではなく、かの大陸に身を置くことの満足感に溢れたこの本を読み終わって閉じるとき、竹田津さんの幸福感が乗り移る。 外部

夏のミポ◯ン

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中山美穂が若い頃だったから、同じ名前の彼女もミポリンと呼ばれていた。もうそんな呼ばれ方をする歳でもないだろうし、もしかしたら本人も快くは思っていないかも知れないが、たまに会ってもついついそう呼んでしまう。 20年近くまえ、冬にスキーのインストラクターをしている仲間が、カヤックに乗ってみたいという大学を出たての彼女を連れて来たのが最初の出会いだった。何度かハードな海で揉まれ男たちに教えを乞ううちに、自艇を持って彼女なりのスキルを身に着けてしまう。 さもありなん。その頃の彼女は毎年のように北海道代表で国体に出場する女子バスケットボールの選手だったし、冬は冬でスキーのイントラをやりながら選手を目指し、夏には時間を作って南半球まで練習に出かけるほどの入れ込みようだった。 以来、根っからのアスリートたる、娘のような彼女をずっと見て来た。 スキーでは基礎技術の選手として全国大会にも行ったし、シーカヤックでも新谷暁生氏のサポートとして知床エクスペデイションや積丹ツアーに度々加わって実力を身に着けた。しかも、1日も無駄にしない勢いで、遺跡調査、実家の仕事、ゴルフのキャディー、除雪機メーカー、ススキノで