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ブログって・・。

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このところ忙しさにかまけてこの欄への書き込みを怠っていました。1週間になる頃から「何か書かなくちゃ」という、ちょっとした強迫観念を覚え、春から始めたこのブログってヤツをちょっと考えてみました。数人の知人がチェックしてくれているらしいというのは確認していますが、その他にいったい何人の人がこの欄を知ってくれているのか全く分かりません。それと共に、自分がどんな人をこの欄の向こう側に想定しているかさえ判然としないまま、気が向いたことだけを書き連ねています。 ときどき覗いて見るいろんな人のブログも千差万別。ほとんど写真だけの人、毎日すごい字数の日記調で正直ちょっと疲れる人、「そんなのツイッターに書けば」と言いたくなるような一日一言の人、もう半年以上更新のない人、さまざまです。 それでも、顔さえ知らない相手なのに、性格の一端や暮らしぶりがなんとなく見えてしまうから不思議です。この欄を開いてくれる人はどんなイメージで見てくれているんでしょうか。性懲りもなくグダグダと続く永田町のていたらくに怒り、目の前の草をじっと見つめて感心し、書きたいことや見えない相手に伝えたい事は次々と際限無く思い浮かんでくるの

6月のルル

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乳離れした子供たちが巣で待っている。ときどき見かけるルルの行動も、いよいよ旺盛になる子供たちの食欲に応えようと一所懸命な様子が見てとれる。 先日も捕らえたネズミを咥えて立ち止まり、目を合わせて挨拶(いや、何と表現したらいいのか、ほんの一瞬お互いを目で確認し合ったという程度なのだが)した後、確信に満ちたトロットの足取りで巣の方向へ戻っていった。 それは、飼い猫が、獲ったネズミをこれ見よがしの自慢顔で飼い主にみせびらかす行為とは全く違っていて、そこに遊びの要素は全く無い。ただ糧を得て巣で待つ子供に届けるという、無駄の介入する余地の無いクールな日常の行動に過ぎないのだ。狐立無援。その眼差しの奥には、たった一人で新しい命を産み育てている確かさと誇りが、あふれそうなほど宿っている。

アオダイショウの3P

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先日のこと、ひとりでパソコンに向かっているとすぐ近くで何やら断続的に音がする。山の中の工房だ。開け放った戸口から小鳥や昆虫が入ってきて、出られずにパニックになるのはよくあること。見つけて外に出してやらないと・・。 息を殺してじっと耳をそばだてる。 どこだろう。全く音が聞こえてこない。空耳なんかじゃないはずなのにと、半ば諦めかけたとき、いきなりテレビの裏側からドタンバタンとありえない音。覗き込んで一瞬わが目を疑った。子供のドッジボールほどの緑色のかたまりが、くんずほぐれつ動き回っている。なんとなんと、でっかいアオダイショウが絡み合った交尾の現場だった。 去年も同じような現場に遭遇したが、その時は大きめのソフトボールくらいだったので、今回はその時に較べて格段にでかい。 そのうち手前に転がり出てくると、あたりに置いてあるものを倒しながらテーブルの下に落ち、それでもボール状を保ったまま激しくうねり続ける。 嫉妬を覚えるほどの力感と猛烈なからみあい。続きは外でやってもらうことにしたが、どこを掴んでいいものか判らない。 火バサミを2本探し出して両手に持ち、動き続けるボールから首を捜す。あろうこ

アカシアの花

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野山にアカシアのフィーバーが始まった。 この木もやはり明治時代に持ち込まれた外来種で、成長が早く、繁殖力が強く、浅く広く根を張るので、主に土壌流失防止や手っ取り早い緑化に利用された。 道民をはじめ多くの人たちがそう呼んではばからないこのアカシアという名は、周知のように正しい名前ではない。本物のアカシアは全く別の種類で、正しくはマメ科のハリエンジュ。本物とは違うという意味で、またの名をニセアカシア。そんなことはみんな知っているくせに、いつまでたってもアカシアの呼び名は変わらない。 マメ科の倣いで種は鞘の中に並んでできるが、その種は情けないほどペッタンコで、豆としてできそこないのように見える。ところがところが、その薄っぺらさこそが、風によってより遠くまで拡散する戦略としての成功をもたらし、高い発芽率や、根さえ残っていれば切られても再生する生命力、それに全身に鋭いトゲを纏うというパーフェクトなインベーダーとして、この100年で北海道は言うに及ばず、東北や信州をはじめ南方を除くほぼ全国に拡散してしまった。数年前、このアカシアの脅威に気付いた環境庁は駆逐すべき外来種に指定した。確かにこ

カッコウの声

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今月初めに白い花のことを書いてからほぼ2週間、ニセアカシアの花房が膨らんで、あと2〜3日で野山に白い爆発が始まります。同時に、見上げる札幌岳の西の肩に最後まで残っている残雪が、今にも消えようとしています。例年であれば、アカシアの花期の最盛期に、がっちりバトンタッチして消えていく名残の雪が、今年は珍しく今にも力尽きそうです。珍しいといえば、何年ぶりでしょう、カッコウが戻って来ました。昭和50年代後半までは、札幌の市街地でも初夏を迎える頃になるとあたりまえのようにあの鳴き声が聞こえていて、札幌市のシンボルにされるくらい馴染み深い鳥だったのです。 高度成長期が終わる頃、ふと気付くとカッコウの声が札幌から消えていました。<鳥屋>さんたちは慌てていろいろとその訳を探りましたが、夏場を過ごす北海道に原因があるのではなく、越冬地であるフィリピンやインドシナでの大規模な森林破壊こそが元凶だということになりました。 数年前からは「カッコウの声を聞いたらお知らせ下さい」と、ラジオ局などが呼びかけるようになり、静かに忍び寄るかのような<異変>にみんなが気付いたのです。カッコウの声こそ聞こえなくなったものの、