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道端の太陽

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明治新政府が北海道開拓のために高給でスカウトした外国人教師が、葉をサラダとして利用する目的で持ち込んだといわれるセイヨウタンポポ。種子にパラシュートを付け、風に乗って100kmも拡散するという戦略と、地中に真っ直ぐゴボウ根を下ろし、春先から初秋までの長い花期で次から次に花を付けるしつこい性格で、その強さが故の憎まれっ子。いまや日本中至るところの道端や空き地に蔓延りまくり、ありきたり過ぎてじっくり観察する人は少ない。道の両側いちめんに咲いたこの時期のタンポポは、夏や秋の花と違って、じっと見ていると眼を痛めてしまいそうなほど若さが持つ力を発散する。 かつてこのフレッシュで力を秘めた黄色を、カヤックのデッキに使おうと試みたことがあった。しかし、人工の顔料を使って生命力のある黄色を作るのは所詮無理だった。春のタンポポの黄色には太陽が宿っているのだ。 そう思って見ていると、タンポポと太陽は驚くほどに親密な関係で結ばれている。夜間や雨降りに花をすぼませているのは誰でも知っているが、では、どのタイミングで開くのか。夜が明けていくら明るくなっても花を広げるのは太陽が出てからだし、まだまだ昼間の明るさは

スネークキャベッジ

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このあいだまで白無垢の襟を立て、さわやかな雰囲気に包まれていたミズバショウの湿地が、もうこの状態。 草丈70cmほどの葉が大きな株になり、やはり今だけこの湿地の主役を務める。これからも葉は伸び続け、1メートルを超えるほどに成長するのだが、その頃にはこれから猛スピードで伸びてくる葦に隠されてしまい、そんな大きな株があることさえ近くで見ても分からない。 同じように大きな葉をしたサトイモの仲間だと聞けば納得できるが、一般には<夏の想い出>で詠われる尾瀬の清楚で白いイメージが強く、葉っぱに関心を持たれることはあまりない。 サトイモ科の特徴である仏炎包は花でも花びらでもなく、真ん中に立つトウモロコシの食いカスのような黄色い棒が、小さな花をいっぱい集めた花序と呼ばれる。北海道のような寒冷地でサトイモを栽培されることはほとんど無いが、こいつの仲間は結構ある。ミズバショウと同じく早春に咲き、仏炎包をパラボラアンテナのようにして太陽熱を集め、中心の花序に虫を呼ぶザゼンソウ。コンニャクと同じような茎の肌をしたマムシグサや食虫植物のようなテンナンショウ。蛇が鎌首をもたげたように見えるからか、北海道

ルル出産

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10日以上姿を表わさなかったルルがひょっこり顔を見せた。夏毛になったキツネがみすぼらしいのは分かっているが、それにしても同じキツネとは思えないほど痩せさらばえて惨めな姿。目立っていたお腹も小さくなって、この見えなかった間にひとりでお産を済ませていたことがわかる。 腰を落としておすわりの姿勢をとったときにチラッとお腹が見えた。いったい何頭の子を産んだのか、乳首が6つ並んで見える。眼の開かない子ギツネたちが小さく鋭いツメをたててむしゃぶりつくのだろう。乳首のまわりの毛が抜け落ち、うっすら血さえ滲んだ肌が痛々しい。 何かの確信に満ちた眼がこちらの思惑をいっさい拒んで、母の強さで凛とたたずむ。何分かの後、東の上空にしばらく鼻を突き出していたが、やがてゆっくりその方向の藪の中へ消えて行った。人間には全く聞こえないが、厚く積もった雪の下のヤチネズミのわずかな動きさえ聞き分ける驚異の能力で、ギャンギャンと母を呼ぶ子ギツネの声を捉えたのだろうと思う。だいたいの見当は付いている。直線距離でおよそ300メートル。人間にとっては猛烈な藪を漕いで下っていった河原の近くに巣穴はある。 ちょっとだけ様子

春に膨らむ

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山が膨らんできました。 遠くに見える高い山はまだ雪で真っ白ですが、通勤途中の道路沿いの山肌は白いものもなくなり、いっせいに萌え始めた新緑が梢から透けて見えていた稜線を隠し、モコモコと大きくなっているように見えます。初夏を過ぎてどの木の葉もみんな緑濃くなると、まとまった一つの<山>という景色になるのですが、この時期だけはそれぞれの木々が冬の屈折から弾けだすように自己主張しています。 シラカバやバッコヤナギのやわらかい薄緑、もう少し緑を加えたカラマツの黄緑、トドマツやオンコの深緑、イタヤカエデの黄色い新芽、カツラの新芽はワイン色。そんな山肌に撒き散らしたピンクのボンボンのようなエゾヤマザクラとキタコブシの白い毬。近すぎても遠すぎてもだめ、数百メートルの距離から眺める山肌は淡いモザイク画のようで、まるで高名な印象派画家の手によるかのように儚く霞んでいます。

新しい朝

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サクラにコブシにレンギョウにエゾムラサキetc,etc. あまりの春フィーバーに文字通り水を差すような雨が3日ほど続き、ちょっと落ち着けと言わんばかり。この時期に相応しい気温とさわやかな晴天の5月らしい朝。42年ぶりだそうです。泊3号機が定検に入って、日本から全ての原子力由来の電力が消えた新しい朝です。 人類が2足歩行を始めた遠い過去から、先を見通せないほどの将来において、この半世紀が人類史上最悪の時代であることに疑いの余地がありません。無毒化処理や中和技術を持たないこの時代の人類が触ってはならない核エネルギーを土台にして、仇花のように狂い咲いたこの半世紀。 今すぐに全てを廃炉にしたとしても、これまでに溜まった人間の手に負えない廃棄物の処理をどうするか全く決まっていないのです。40年間の稼働の後、100000年も深地層で管理しなければならないという計算がどうして成り立つのでしょうか? 科学者は言います。「まあ10万年後に我々人類がこのまま生息する可能性はかなり低い。」おそらくそれは正しい答えです。と同時にあまりに無責任な、人として許されない答えでもあります。 産業界の生産性低下や夏場の