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だるまさんがころんだ

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子育てから開放されたからか、ルルの動きにどことはなしに若い頃の軽快さが戻ってきた。毛艶も良くなってきたし、なにより独り身の気楽さが眼差しの奥に潜んでいた暗さをどこかへ押しやった。 いつもの林から草地に出てきたところを見つけて、写真に撮ろうとカメラを構える。 レンズに慣れたのか全く気にする素振りもない。10メートル位まで近づいたところでファインダーから目を上げて肉眼で見た。視線を感じたルルは気まずそうにその場にピタッと止まり、横を向いて素知らぬ顔。 また顔をカメラに戻すと、すくい上げるようにこちらを見ながらゆっくり近づく。また顔をあげると、その瞬間に動きをとめて視線をあらぬ方向へ。 動いては止まりを4〜5回繰り返して少しずつ近付き、3メートルほどのところにあるいつもの場所に腰を下ろしたのだが、いま起きた事、この1分間を振り返って遠い時間を想い出した。 子供の頃にやった「鬼ごっこ」じゃないか。板壁や電柱に顔を押し当てて目をつむり、十の文字数を言い換えて「だるまさんがころんだ、だるまさんがころんだ・・」と数えながら、振り向いたときに動いているヤツを見つけるとそいつはアウト! ・・って。 な〜

合掌

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昨夜、帰宅しようと工房を出てすぐ、ヘッドランプの灯りの中心になにやら丸いかたまりが・・。 クルマを降りて近づくと、道路の真ん中にエゾタヌキが横たわっている。事故死だ!という直感はありつつも、後ろ向きの姿には悲惨な状況が見えず、フワフワの毛先は寝ているようにも見える。 「道路の真ん中で、そんな訳ゃ無いだろ」とツッコまれそうだが、タヌキの場合、そういうことが無くも無い。極度の緊張や恐怖に遭遇した場合、自ら仮死状態になってしまう場合がよくあるのだ。これをして「死んだ振りして人をだます」とか「タヌキ寝入り」と言う。 実際、接触した覚えはないのに、クルマの前を横切ったタヌキが道端で急に事切れてしまったことがある。その時は「可哀相に、轢いてしまった」と自分を責め、どこかに埋けてやろうと助手席の足元に横たえて走っていて、いきなりガブッと運転中の足に噛み付かれたのだ。死体だと思い込んでいたので、一瞬何が起きたのか理解できなかったが、後になって「タヌキに化かされた」とはこのことなのだと知ることになる。前側に回り込むと、口元に小さな血溜りがあり、やはり輪禍死だったことが判った。このまま道路の真ん中に放置は

バードストライク!

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今朝、コーヒーを啜りながら新聞を読んでいると、自宅の窓ガラスに「コンッ」というさほど大きくはないが耳の奥に残る音。「ンッ?もしかして・・」とベランダに出てみると、思ったとおり足許に小鳥がうずくまっている。体重5グラムほどのハシブトガラだ。山の中にある工房では、年に何回も小鳥が入ってくるし、毎年一度や二度は閉まっている窓ガラスに間違って衝突するバードストライクが起こる。 原因は猛禽などの天敵から逃れるためにパニック状態で・・とよく言われる。まあ、そんな状況なら無理もないが、どうも毎度毎度そういうケースではないようだ。ぶつかる前から視界に入ってたまたまその瞬間を見ていたこともあるが、人間の運転ミスと同じように、うっかりや脇見(鳥の眼は両脇しか見えないか)などの注意力欠如による場合が殆んどではないだろうか。 でもこの場合は里山の自然な環境の中に、透明で硬質なガラスという人工物を設ける方が悪い。ぶつかってしまった小鳥の落ち度を指摘するのは筋違いというもの。こういうトラブルが起こるたび、鳥や昆虫たちに本当に申し訳ない気持ちになってしまう。しかし、今朝の事故が起きた自宅は人工物だらけの市街地にあ

小さい秋みつけた

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長かった夏が終わり、大雪山からは2週間遅れの初雪の便り。しかし、寒暖差がそれほどでもないせいか紅葉前線はまだ高山に留まり、札幌近郊の里山にはしばらく下りて来そうもありません。工房のそばの古木の幹にやっとヤナギタケが出てきました。ヤナギタケとは俗称で、正式名はヌメリスギタケモドキといういかにも不味そうな名前。だけどコイツが美味いんです。味噌汁にも合うし、シイタケに代えてスキヤキや鍋物に入れるとまた絶品。さっとゆがいたものをきざんで大根おろしと和えるのもまた良し。市場にも出回らず、季節限定の付加価値と自ら採る楽しみを加えて、国内最大の菌メーカー<ホクト>にも、この手のキノコの魅力はとても真似できません。北海道では長いことラクヨウと呼ばれるイグチ科の茸が、秋のキノコの王様でした。 落葉松(カラマツ)の下に生えるこいつは食味もさることながら、タイミングさえ合えば落葉松林の足もとで大量に採れ、塩蔵による保存もできることから大いに親しまれてきました。落葉松は生長が早いのと、炭鉱の坑木需要が高かったことから離農跡地などで大量に植林され、全道どこにでもその林が見られます。ただ、現在では需要もなく、手

どこへ行くのォ

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あまりにも深く溜め息をついたせいでしょうか、一瞬、その底で息が止まるのでは?という心配がよぎりました。 昨晩、いつものように晩酌しながら夕刊を見ていたときのこと。見慣れた天気予報のマーク以外、1面はたった3つの大きな見出しとその記事で埋められていました。<大間原発の建設再開> 「2030年代の原発ゼロを目標として新たな原発は作らないが、すでに手を付けているものに付いては継続する」という、先日の枝野経産相の支離滅裂な発言を受け、福島の事故以来凍結していた大間原発の建設が動き始めました。これから作って運転を始めれば2060年まで使うでしょ。完全にロジックが破綻してませんか。旧態然と、立地自治体と周辺には金をばらまき、それ以外の30km圏内や国民の声は一切無視して、「安全が確認されたから」の一点張り。気の毒にも、福島の原発事故以来この国が変わろうとしている空気が読めないんでしょう。国民を欺いて運転を再開した大飯と名前は似ていても、大間はただの原発ではありません。世界初のフルMOX燃料仕様なんです。世界に先駆けてではなく、世界中があきらめたプルトニウムを燃やす原子炉が、どれだけ危険かは触れられ