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何と申しましょうか

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<どぜう>をもって自任する我が総理は、ワンポイントだった消費増税を終えてからというもの、就任当初の勢いをまったく無くし、その後の夏以降ほとんど何もやっていません。野党や国民世論が苛立てばイラだつほど、ヌラ〜リクニョリと言葉にヌメリをまぶして、まるで自分に与えられた解散権を含み笑いで楽しんでいるかのようです。先の組閣も案の定。論功行賞最優先内閣はすぐに骨折頭痛神経痛。「あの人はヤバいんじゃねェ」と誰もが言っていたヤッパリ法相。お嬢様のままオバハンになって笑いもとらずにまたも傲慢さを突き出すワガママ文科相。そこへ来て、ワガママ振りではひけをとらない石原老人と2万パーセント橋下のチラつく野望。「ボクちゃんもうムリ」と、いきなりドアから出て行った安倍坊ちゃんが、また帰ってらっしゃるとか。役人は役人で「お上」として、まるで横領横流し公金詐取のような振る舞いを見せてくれています。「<風が吹けば桶屋が儲かる>の諺は本当だったんだァ」と、改めて国民に教え諭してくれるような復興財源のインチキ。不信と失望の政界に辟易した国民が、3年前の民主党に「正義の味方」を見ようとしたことがそもそもの間違いだったのは、

ヤマモミジ

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今年の紅葉の不甲斐なさを昨日ぼやいたばかりだが、がんばって紅の極みに届こうとしている街路樹のヤマモミジに出会った。 このカエデにはたくさんの種類があるが、葉っぱのかたちに特徴があることから誰でも知っているし、亜寒帯から温帯にかけてこの仲間は世界中のどこにでもある。 冬に葉を落とす前の鮮やかな紅葉が、古来より歌に詠まれるほど日本人の深層や色彩感覚に大きな影響を与えているのも否めない。 不景気風と個人主義のせいか最近でこそあまり聞かなくなったが、およそ風流とは縁遠い北海道民でも、この紅葉の時期に「観楓会」と称する行事が欠かせなかったものだ。(もっともたいていは忘年会の予行演習のようなもので、温泉に泊まって夜更けまで呑んだくれるのが目的だから、せいぜい行き帰りの車窓から目にするくらいのもので、まともに紅葉狩りなどやった記憶は無い。) このヤマモミジと同じく、ハウチワカエデやイロハカエデなどのもみじが庭園や公園に植栽されているのをよく見かけるし、和風な空間にはつきものとも言えるほど定番のアイテムだ。とっておきの楽しみがある。鮮やかに色づいた葉を落ちる前に枝から集め、それ以上乾燥しな

赤のちから

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毎朝の通勤ルートにしている、国道とは川を挟んで反対側にある裏街道。 山肌に朝日があたって、思わず「錦秋」の文字が浮かんだ。 車を停めてカメラを取り出し、レンズを向けようとして暫し躊躇。 どうも例年とは紅葉の感じが違う。鮮やかな紅葉というよりは、全体としてくすんだ黄葉で赤味に冴えも主張も無い。長びいた夏と冷え込みのない夜は、紅葉の時期を半月も遅らせたばかりか、昇華を迎える山に紅のちからを充分には与えなかった。理屈どおり、やはり昼夜の寒暖差が必要なのだ。「こんな景色、わざわざ写真に撮るようなものか。」 レンズを構えてはみるものの、その先にある風景にはさしたる感動が無い。 30秒ほど迷ったあとに、1枚だけ撮っておいた。 「来年、また同じ頃に撮って較べてみよう。」

森が危ない

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夏が長びいたせいで暦が半月以上も遅れているようです。工房周辺の木々もさっぱり紅葉が進まず、まだほとんどの木の葉は落ちもせずに青々としています。そんなのんびりムードの地上のものたちを置き去りにして、気温だけが冬に向かってピッチを上げてきました。周りの山の頂は白くなり、峠を越える国道も何度目かの積雪状態になって、ほんの1ヶ月前に積丹の海でカヤックを漕ぎ、仲間が泳いでいたのが信じられないほどです。こんな状態で初雪を迎え、その湿った雪に痛めつけられて周辺の森が大きな被害を出したことがありました。数年前の今頃。今年と同じように色付き始めてはいたけれど、その葉を落とす準備が整う前の森が白い災いに被われたのです。朝から降っていた雨が夕方にはみぞれ混じりに換わり、暗くなってから急に入り込んだ強い冷気が、葉に付いた水滴を氷にしはじめます。降り続くみぞれは葉先に触れて氷になり、みぞれはだんだん湿った雪に変わって、朝までに30センチの積雪になりました。氷と雪は葉っぱどうしをくっ付け、枝どうしをくっつけてその重さで樹冠を地面に押し付けたのです。大木が弓なりの曲線を描き、耐えきれない幹が悲鳴をあげながら次々に折

ルルの1年

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・・斜め後ろから何となく視線を感じてふと窓の外を見ると、若いキタキツネがいつからそこに座っていたのかジッとこちらを見据えていた。ドアを開けて2〜3歩進み、「オイ、どした・・・。ルゥルルル・・・。」怪訝そうな顔でちょっとだけ頭を傾げるが動こうとしない。無視するのは失礼な気がする。少し遊んでやろう。話しかけながら3メートルほどに近づくと面倒くさそうに立ち上がってすこし遠退くが、背中を向けて戸口まで戻ると、ヤツも元の位置に戻って無表情にこちらを観察している。「明るい箱の中にいるコイツは何者だ」「何か食い物と関係は無いか」「手に持ったやかましい音のする物は何なんだ」純粋に知りたいのだ。成獣が持つ斜め下からの猜疑心に満ちた視線ではなく、緊張感や恐怖心を押さえても、知りたい確かめたいというピュアな眼が、しばしの間、野生に生きる若い力を見せてくれた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   上記の文章は昨年の10月1日に、ブログにする前のトピックス欄に書いたものです。 あれからルルは独りで厳しい冬を生き抜き、子供を生み、育て、また独りになって次の冬を迎えようとしています。 お互