年別アーカイブ: 2015

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毎朝の山

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この二十数年間、毎朝、仕事へ向うフロントガラスの先にこの山を見てきました。いや、改めて振り返ってみると、確実に前方にあったのに目で見てははいない時もあったように思います。それほど当たりまえの風景として意識を引きつけなかったのでしょうか。この画像は、工房へ向う道を通り過ぎてもう少し先に進んだところから撮ったもので、いわば正面からみた黒々と雪の着かない山頂を持つ<八剣山>です。 今ではどの地図にもそう表記されて、山好きの人達や札幌南部の住人にはよく知られた八剣山ですが、昔は五剣山と呼ばれており、更に古い5万分の1地形図には古名の観音岩山と書き込まれています。周囲の山と較べても決して高い訳ではありません。むしろ5百メートルの標高自体は周りの山々よりもかなり低く、この特徴的な山頂部の岩稜がなければ、おそらく名前さえ付けられることも無かったでしょう。実はこの山をずっと通り越した視線の先に、純白でたおやかな1464Mの無意根山があるのです。9月の初雪から残雪輝く7月まで、晴れた日にはどうしても真っ白くなだらかな稜線に視線を絡めとられます。そんなわけで、普段はあまり目を引くことのない八剣山ですが、

除雪

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工房の除雪風景を初めて写真に撮りました。 これまで冬の間はほとんど一人の作業だったので、除雪する自分を撮れる訳もなく、ましてそんなことを思いつくことすらありませんでした。写真は息子が調子良く除雪機を操作する様子で、晴天の下、気持ち良さそうでさえありますが、いやいや、どんどん降り積もる雪と競うような猛吹雪の中での除雪は、つらさもさることながらシシュフォスの神話のような無力感に取り憑かれます。それでも、こうして除雪機で雪を跳ね飛ばすなんて、この場所に移って来た頃からすればまるで天国。なにせ、ここを開墾してから最初の頃はすべてが手作業。今よりも格段に若くて体力もみなぎっていたとはいえ、スノーダンプで運んでは積み上げる作業を何十回も繰り返すと、流れる汗が長靴の中にまで滲み入るほどでした。 知人のK工場長から不要になった小型除雪機をもらったのは5〜6年経ってから。 次から次にいろんな場所が壊れるポンコツでしたが、それでもありがたくて修理が苦になることはありませんでした。今のこの除雪機が来たのは10年ほど前。セルモーター付きで簡単操作、快調かつパワフルに雪を飛ばしてくれるコイツに、なんというか、

ここは奈良か!

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毎朝の通勤時に、道路脇や山の斜面にエゾシカの姿を見つけるのがこの時期の小さな楽しみだ。といっても、それは鹿には全く関係ない人間の勝手。鹿の方にしたら、木の皮や枝先の冬芽で飢えをしのぎ、身を隠すものさえ無い裸の雪山で、死を排除するためにあえて緊張と対峙しているだけなのだ。以前にも書いたように、車で走りながらシルエットでその存在を確認するのだが、チラッチラッと主に右手水平方向を見やるだけで、斜面の上方や遠方まで注視することはできない。そうやって、その視界の範囲で認められるのが、少ない日は2〜3頭、多い時で10頭くらい。しかも群れを持てなかったオスばかり。それがこの十年くらいの平均値だった。 それが今年は大きく変化した。通勤時のわずか数キロの間に60頭以上。昨日も30頭と20頭の大きな群れ。それぞれ統率がきいていて同一方向に移動している。加えて明らかに大きさが違う幼獣や角のないメスがほとんどのようだ。これは明らかにはぐれオスの集まりではない。 写真は採石場跡地の斜面に植栽された若木に集まるエゾシカたち。すぐ近くには市街地が広がり国道も走る。天敵がいないとはいえ、奈良公園でもあるまいし、こう

ビブラム神話

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いかにも米国的で無骨なこのソレル社の防寒靴を、冬の間じゅうずっと履き続けてきました。おそらく今度の靴で5代目か6代目ですから、愛用するようになってからもう30年以上にもなるでしょうか。 靴底の減りが気になり出した3年ほど前から、買い替えようかなと思いつつ、ビブラム神話に捉えられて今ひとつ踏み切ることができませんでした。”ビブラム神話”。そんな言葉は聞いたことがありませんし、自分で勝手に作った造語ではありますが、目からウロコの体験をして初めてビブラムソール(靴底)を特別視していた自分や周囲に気付かされたことを考えると、いちばん状況を言い当てている言葉のような気がするのです。それまでの厚い革製の靴底にたくさんの鋲が打ち込まれた登山靴に較べて、70年ほど前にイタリアのビブラム社が作り始めたゴム製の靴底は、その性能において圧倒的優位を主張し、ほぼ10年ほどの間に鋲靴を駆逐して登山界に君臨することになります。日本の登山界においては戦争の混乱を挟んだためにやや遅れはしましたが、ナーゲルの名で親しまれた鋲靴が1950年代をもって姿を消し、1960年代にはビブラムソールを貼付けた登山靴がとって代わり

潔よくあれ

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前回「武士は喰わねど」と書いてから、つれづれに今は亡き父親のことを想い出しています。 人生に大切なこととして伝えておきたかったのか、それとも半分は自分自身に向っての呟きだったのか、今となって判別することはできませんが、数十年の時を経た遠いところから浮かんでくる言葉があります。 「心頭滅却すれば火もまた涼し」・・そんな超能力者を見たことも無く、理解不能と不信に固まる子供の私に、その言葉の意味と共に、父が判り易いいくつもの例え話しをしてくれました。そのたびごとの話は覚えていませんが、精神で己を律するというその文言のエキスは、現在に至っても後頭部の裏側に棲み付いています。 ただ、親父としては、「欲しがりません勝つまでは」という、その意図において本来の意味とは似て非なるワードを受け入れてしまった自身の若い頃に、残した想いがあったようでもありました。質実剛健、潔さを旨とし、己を欺いて易きに流れず、遥かな道程も一歩づつ。 父親が言いそうなそんな言葉を並べていると、自分の中の親父像の輪郭線が濃さを増してきました。 加藤文太郎のような、そして新田次郎のような、石州郷士を形にしたような父親が、のぞき込む