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潔よくあれ

前回「武士は喰わねど」と書いてから、つれづれに今は亡き父親のことを想い出しています。
人生に大切なこととして伝えておきたかったのか、それとも半分は自分自身に向っての呟きだったのか、今となって判別することはできませんが、数十年の時を経た遠いところから浮かんでくる言葉があります。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」・・そんな超能力者を見たことも無く、理解不能と不信に固まる子供の私に、その言葉の意味と共に、父が判り易いいくつもの例え話しをしてくれました。そのたびごとの話は覚えていませんが、精神で己を律するというその文言のエキスは、現在に至っても後頭部の裏側に棲み付いています。
ただ、親父としては、「欲しがりません勝つまでは」という、その意図において本来の意味とは似て非なるワードを受け入れてしまった自身の若い頃に、残した想いがあったようでもありました。

質実剛健、潔さを旨とし、己を欺いて易きに流れず、遥かな道程も一歩づつ。
父親が言いそうなそんな言葉を並べていると、自分の中の親父像の輪郭線が濃さを増してきました。
加藤文太郎のような、そして新田次郎のような、石州郷士を形にしたような父親が、のぞき込む鏡のむこうに見えています。

昨日まで1週間も続いた冬の晴れ空は、今朝から一転吹雪模様。
今朝も斜面に立ち込んでジッと動かない牡のエゾシカを見かけました。
辛さも淋しさも臓腑の奥に閉じこめ、潔さだけを細い四肢に纏って、「同情など不要」と押し殺した”気”に言わせているかのようです。

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