年別アーカイブ: 2015

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春のお裾分け

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工房の前に立つ十数本のシラカバの樹は、田中角栄の列島改造論に日本中が浮かれた頃、耕作放棄された畑にいち早く根を下ろした自然界のパイオニアでしたから、かれこれ樹齢50年近くになるでしょう。胸高直径は40〜50cmになり、毎年サクラの開花と競うようにみずみずしい若葉を萌えださせ、やがて初夏には心地良い木陰を作ってくれています。 発芽した幼樹は、まだほかの雑木や笹が生い茂る前に上へ上へと背を伸ばし、20年ほどで垂直方向の成長を水平方向に変えて枝葉を茂らせながら、幹も枝もどんどん太くなってきました。 そんな毎年変わらず元気なシラカバの樹も、いうなればメタボな熟年から初老に差しかかってきたようです。最近では太くなりすぎた枝を台風にむしられ、頑丈そうな幹も重い雪にボッキリ折られて、森の中での存在感が少しずつ縮小してきたように見えます。それでも、今年もシラカバの樹液をいただく季節が訪れました。 幾万の細胞膜を通過して汲み上げられる土の中の水は、ただのミネラルウォーターではありません。チューブを通して押し出す力も、滴り落ちる優しい音も、ほんのり残る甘さと共に心まで軽くしてくれるから不思議です。

受難

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この冬、増え過ぎたエゾシカによる被害が、とうとう市街地に隣接したSさんのリンゴ園に及び、全ての木が樹皮を喰い剥がされてしまった。ここまでやられるとどう手当をしても枯死が免れない。去年までに別のリンゴやサクランボの畑を全部やられ、放棄して更地にすることを余儀なくされた果樹農家にとって、どれほど腹立たしく悔しい思いであることか察するに余りある。 座して食害を観ていたわけではなく対策は打たれている。 道路沿いは何十年も前からのオンコ(イチイ)が3メートル近い立派な生け垣になり、他の三方は太い針金を縦横に張った柵で囲われた。しかしその生け垣もシカの首が届く範囲で小枝や葉を食い尽くされ、積雪によって低くなった柵も容易に越えられてしまう。 住宅地に近いので発砲することもできず、自分と家族の生活が野生動物によって蹂躙されていくのを、ただ見ているしかないのか。もし自分がその立場だったら、他人の意見や法の縛りを振り払ってでも戦いを選ぶかもしれない。かたやでそのエゾシカたちに悪意は無く、ひたすら飢餓に耐えて命を永らえようとしただけなのだ。 すべてがその時々の人間の都合とはいえ、天敵だったエゾオオカミを駆

枯葉の力

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繰り返しタイヤに踏みつけられ、何ヶ月も冷気にいたぶられて分厚く凍て付いた道路脇にミズナラの枯葉が貼り付いていた。 秋の終わりにこの枯葉が葉としての役割を終えてからずいぶん時間が経っている。それに全ての落ち葉は厚い雪の布団の下で土になる準備をしているはず。どういう力がどんな経緯でここに運んだのか。春まで枝から落ちずに冬芽を守るカシワの葉ほどではないが、ミズナラも、特に若木の枝先の葉は、自分の足許に芽吹いた来春の命を冬になっても離そうとしない。雪つぶてに引き剥がされ風に運ばれてここまで来た。この画像。真上から撮ったので判りにくいが、枯葉の周囲は5センチほどの穴になっている。もちろんこの深みはこの枯葉自体が溶かしたものではなく、春の太陽がその力を示したものだ。しかしそれならばなぜ一様でなく穴ができる?これこそこの枯葉の力ではないか。陽光を反射せずにその茶色の葉に蓄え、周囲の氷をゆっくり水に変えていく。そんな当たり前の事と子供でも笑い飛ばすだろうが、ならばじっと我慢して氷に掌を押し付けてみてほしい。5センチどころか5ミリの窪みだって作れないはず。一枚のわくらばが春呼ぶ力を教えてくれた。カシワ

記憶を手繰る

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冷えきった身体を湯ぶねに浸して二度ほど唸ったあと、やや間を置いて子供の頃に聞き覚えた民謡が弛緩した腹の奥底から出て来た。半世紀も前のことだから順番こそ違うかもしれないが、つらつらと次から次につながって歌の文句とその頃の情景が脳の奥でフラッシュバックする。浜田え〜エ 浜田港から向こうを見ればア 大豆畑のサマ 百萬町 チャラツチャラチャラ チャラツチャラチャラ チャラツチャラチャラ 浜田え〜エ 浜田育ちは気立ても違う 烈女おはつのサマ 出たところ チャラツチャラチャラ・・と、唄自体はどこの町にもあるご当地民謡だ。想えば、島根県の浜田市に暮らし、この唄を耳にしたのは幼児か小学生の頃。酒の席で唄いながら覚えた訳ではない。普段は生真面目な父だったが、酒がはいってすこぶる機嫌が良くなったときに唄ったものが、子供の耳に棲みついていたのだろう。 日常の暮らしの中で歌を歌うことなどあまり無かった頃のこと、いつになく大きな声量が少し怖かったような記憶もあるが、それよりもこういう状況は子供にとっても楽しみに繋がることをやがて覚えた。忘年会のようなあるいは歓送迎会のようなものだったのか、年に何度かある宴席のあ

いよいよ・・

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いよいよだ。もうじき始まる。 3月半ば。 うまくいって10日間。年によっては1日あるかないか。 何もじゃまするものの無い完全な自由。陽光と冷気のコラボレーション。 スノーシューなんていらない。ツボ足で何処へでも行ける。、 凍り付いた堅雪の表面はメタボなおっさんの体重でも破れない。 ほんとの地面より靴底が1メートルも高い。視線さえふわっと高くなる。 一面真っ白な草原の上を過ぎ、明るい森を突き抜け、沢水のせせらぐ音に足を向ける。 密生した笹薮も雪の布団がなだらかな斜面に変え、力を蓄えた春の光が覆う。この堅雪の上を犬たちと一緒にずいぶん歩き回ったなあ、あの頃は。 シベリアの遠い記憶を体内に秘めた3頭のハスキー犬がいつも一緒だった。 底抜けの開放感に面食らい、やがて湧き上がる歓喜からまるで逃れるように、身をよじって走り回ったものだ。 犬たちがいなくなってからずいぶん経った。今年の冬は暖冬だった。1月こそ降雪が続いたが、最低気温は−13℃どまり。日が長くなり、小鳥たちが活発になり、根開きも始まった。堅雪を何度か楽しんだら、さあ、今年の仕事のスタンバイだ。