阿部幹雄さんが講師で、北大・朝日新聞・HTB共催の南極講座を聞きに北大に出かけてきた。前回で懲りているので、今日は一人で歩いて入る。 のんびり歩いても汗がふきだすような厳しい残暑だが、北13条通りのイチョウ並木の下は優しい空気がゆっくり動いてくれていて、それだけでちょっとうれしい。事前申込みが必要な子供対象の講座だが、会場は子供達と保護者で満席の盛況だった。 昭和基地からも遠く離れた、南極のセールロンダーネという地域で、3年連続夏のシーズンを調査活動で過ごしてきた、写真家でもある阿部さんならではのスライドを交えた判り易い話で、子供も大人も飽きさせない内容だ。加えて、そのプロジェクトのために阿部さんが開発し、山崎直子さんや野口さんが宇宙にまで持っていって寿司パーティーをして食べたという特製の携帯食の試食をしたり、南極の氷の音を聞いたり融かして飲んだりした。 子供連れでイベントや講座に参加する場合、得てして親の方が積極的で子供のノリが悪いことが多いのだが、今日は子供達にとっても有意義な時間と体験だったようだ。子供達の質問タイムが面白い。 「オーロラや星空はきれいでしたか?」 「あのね、南極
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選挙の目玉<原発0>
民主党が日和った。形勢の好転を望めないまま近づく選挙に、少しでもマイナス要因を減らすべく、なりふり構わず迎合のポーズをとりはじめた。 世論の高まりを無視できないとして、これまで「2050年代に原発0を目指す」としていたものを、「2030年代」と言い換え、「高速増殖炉もんじゅ」の廃止も付け加えた。本来であれば両方ともこの国の将来を決定付けることになり、国民的議論の必要な大問題なのだが、どちらにしても、もともと確たるポリシーやビジョンがあってのものでは無いのが判っているから、新聞をはじめ各メディアも大きく取り上げはしない。 「大飯3・4号機の稼働がなければ国民の集団自殺だ」とまで言ったこの政権は、原発なしでもこの夏を乗り越えられた数字に、自ら評価を加えることをしない。加えて、その算定の根拠を明確にしないまま、「原発0なら料金が2倍に」と危機を煽る。達成目標を掲げないまま原発0を語るのもおかしな話だし、廃炉のプロセスさえ未知の世界なのだ。運転停止から仮に60年といわれる廃炉までの時間を考えれば、2030年代に運転を止めたとしても、完全な廃炉は22世紀に掛かってしまう。 世界中が見切りをつけた
9月のルル
ついこの間まで、ボロクズのように体のあちこちに纏わりついていた冬毛をすべて落とし、すっきりした夏毛になった。冬毛に較べて尻尾の太さは半分ほど、体毛も若い柴犬ほどの短い刺毛で見栄えはしないが、そんなことは知ったこっちゃない。イヌ科のキツネがこの暑さを乗り切るための、ある意味適応力なのだ。夏が終わり、そろそろキタキツネ親子にも子別れの季節が近づいた。 ある日突然、このルルも決然たる態度で子ども達に別離を宣告する。 あまりの理不尽さと、問答無用の母親の勢いに、子ギツネはせつなさを振り絞りながらギャイ〜ンギャイ〜ンと幾晩も夜通し泣きつめる。そして理解不能でも受け入れなければならないことがあることを知り、やがて独りで生きて行く力を自らの中に見出す。 このルルにしても、去年の今頃その試練を乗り越えたのだ。この時期、断続的に暗闇に響く子ギツネの声は、血が混じっているかと思えるほど聴く耳に辛い。 無関心な虫たちの声や、更に深い淋しさを纏ったヌエの声に鎮められるように、だんだん間遠になる。そして、聞こえなくなったことにふと気付いたら、そのとき若いキツネは生まれ育った場所を離れて静かに新天地を
美国で会いましょう
例年であれば、秋がひんやりとした空気を首筋になでつけてくる頃なのに、どうしたことか、8月後半からぶり返した真夏日が北海道らしさを暑さで払いのけています。1992年に始まったシーカヤックジャンボリーも、なんとか続けてきて、振り返れば21年。 当時の中心メンバーだった人たちも、いつのまにかリタイアして孫と遊ぶような年齢になり、参加者を大勢集めて盛大なイベントにというよりも、年に一度のOB会のような集まりになっています。 企画、打ち合わせ、交渉、スポンサー回り、告知、PA、保険やレンタルの手配、参加費会計、賞品用意etc,etc, 正式な催しにすると、それはそれは大変なんです。 所詮は仲間うちの交歓の場。面倒なことは一切省き、すべては自己責任ということでこぢんまりと続けてきました。初回の余市から、美国、塩谷、再び余市と場所を移し、今年はきれいに整備された美国の小泊海岸に、9月22〜23日に集まります。 その頃にはさすがにこの暑さも腰を上げて、波の音を聞きながら浜で囲む焚き火がうれしい季節に戻るでしょう。シーカヤックをやっている人、関心がある人、どなたでもOKです。積丹の海で会い
開かれた大学?
北海道大学総合博物館で「南極フロンティア展」が開催されている。 北大出身で南極に3度も行っているジャーナリスト阿部幹雄さんから、お誘いと案内を頂いた。 数年前に作って南極に送り、今でも現地で使われている輸送用ソリの内の1台が、持ち帰って展示されているという。自分の眼で確認したかったのと、街中に所用があって同乗していた実物を知らない母に見せたかったことから行ってみることにした。 阿部さんからは、行き先が博物館であることをゲートで告げれば、料金は掛かるが車で構内に入れる旨を聞いていたのだが、守衛は頑として許さない。「大学関係者以外の一般者を入れないのが自分の使命だ」とまで言い切る。「ウチで作ったソリが展示されているので・・」とか、「主催者が館内で待っている」などとねばってみても全く無駄。「とにかく直ちに構内から車を出してくれ」の一点張り。 押し問答を続けていてもしょうがない。かといって車を外に置いて出直しても、足の悪い母を数百メートルも炎天下に歩かせるわけにいかない。しぶしぶ諦めて帰ってきた。「開かれた大学」を標榜しながら、せっかくの展示も学内関係者だけで残念ではないのか。やめよう。自分が