
ひと月ほど前、同居していた母親が亡くなった。 3年前に食道がんが見つかり、年齢のこともあって手術はしないと自分で覚悟を決めた。いつかは来るその日を少しでも悔いなく迎えるために、それまでボチボチだった終活が忙しくなった。自分自身や亡くなった父親との思い出が詰まってはいても、捨てるものは思い切って処分し、もらってくれる人があればせっせと荷造りして発送。「そんなの置いとけば後で俺たちがやるから、そんなに動き回ったら具合が悪くなるよ。」周りの心配を聞き流し、同時に遺書を書き直すとエンディングノートとリビングウィルも墨書し始めたようだった。 金庫の鍵はどこどこで、中にある遺書は私が死んだら兄弟で見てほしい。生命保険や年金の証書もそこにある。生前お世話になった人や親しい人に書いたお別れの手紙の束には、全て切手が貼ってあるから投函してくれればいい。葬儀は出来るだけ質素で誰にも知らせず、必要なお金は封筒に入れてある。 何度も加筆した様子のあるエンディングノートは、いつも座っているイスの後ろの引き出しに入れてあった。 手術をしないと決めた時から、治療はせず苦痛のみを和らげる緩和ケアに掛か