ウニ、イクラ、アワビ、サーモン、マグロ、ホタテ、ヒラメ、ホッキ、シメサバ、更にその上に折り重なるように甘エビが15尾。 グルメ系のネタはあまり得意でないし、食べ物について書いた記憶はないが、これは黙ってはいられない。なにしろ、エビで手を汚しながらいくら食べてもご飯が見えてこないのだから。 う〜〜ん。食った食った。苫小牧漁協のマルトマ食堂名物<マルトマ丼>。 いま流行りの大食いギガ盛りとは違って、ちょうど満腹・・・そして美味かったア! でも、ちょっと盛りすぎじゃないですか?
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AINU ART
webで予約が取れたので、昨年夏にオープンした白老の<ウポポイ>へ行ってきた。 昔からこの場所には観光施設としての<ポロトコタン>があって、いくつかのチセがあり、土産物や木彫品を売ったり踊りを見せたりしていて、いわゆる観光名所ではあった。 僅かずつだが時代は進み、アイヌ民族が先住民であるという自明の事実が法の後ろ盾を得ることになって、国の手により学習施設としての色合いを持たせようと作られたのがこの施設だ。 虐げられてきた歴史をことさらに強調する訳でもなく、かといって観光客呼び込みにのみ重点を置いた訳でもない。施設そのものは「国がやればこうなる」と言わんばかりの金の掛けようだが、収蔵品やアトラクションを含めて概ね目的に近い線をクリアしたように見える。 使い古した生活雑器や祭事用の衣服など旧態然とした展示ばかりではなく、その技法を受け継ぎ発展させる現代の作家達の物言わぬ努力が美しい。 元の場所に立ち並ぶ数棟のチセは、外観こそ茅葺だが建築基準法や消防法、加えてこのところのコロナ禍によって、建物自体が生活感の無い大きな空間になってしまった。 残念なことにこのタイミングで、
こんな吹雪に故障かよ!
復興の日々
昨日、22日はあの地震があってから10年になるとテレビが伝えていました。 その日、突然飛び込んできたニュースは、ニュージーランドで大きな地震が起き、多くの日本人語学留学生が行方不明とのこと。もどかしさに気を揉みながらも、小刻みに入ってくるニュースは、南島最大の都市クライストチャーチの近郊が震源であること、たくさんの建物が倒壊し、語学学校が入ったビルが崩れ落ちて大勢の若者が下敷きになったと報道していました。現地に駆けつけた遺族も捜索現場には近づけず、憔悴と焦燥に無言で堪える様子は今でも忘れられません。 その後判明した犠牲者は日本人の若者が28人、市内全域で185人ということですが、遺体確認ができずその犠牲者数が確定しないうちに、今度は日本が大変なことになりました。そう、2011年3月11日、日本という国家をも変えた東日本大震災が、ショッキングな画像と深い悲しみをを伴って全土に覆い被さってしまいました。 10年の時を経ても尚、解体されて更地になったビル跡が散見されるクライストチャーチですが、その街の名にもなった市中心部のカセドラル(大聖堂)の再建が始まったと伝えられました。写真は201
楢山節考
たぶん小学校高学年の頃だったと思う、この映画を見たのは。それからずっと記憶の奥の暗がりに、うろ覚えではあるが棲み続けている。 1958年に作られたこの映画は、41歳にして処女作という深沢七郎の原作、木下恵介脚本・監督、田中絹代主演で、フィクションではあるが、かつて全国にあった姥捨の因習を映画化した問題作だったという。 食糧の乏しい山間の部落では、口減らしの慣わしとして、数え七十になったら楢山さまへ登って自ら命を絶つことになっており、老いた母親を息子が背負って神の住む山頂まで運ぶという、やるせない永遠の別れがストーリーではある。 60年以上も昔の映画ではあるが、記憶にあったタイトルを見つけて、観るというか確かめてみたくなった。 楢山節考 年代を考えると無理もないことではあるが、画質の悪いこと夥しい。当時は「総天然色」と誇らしく呼ばれたと思うが、今見ると色使いの不自然なこと。 ロケはなく、全編撮影所のセットで撮られているようで、まるで学芸会のステージにしつらえられたかに見える。奥行きの感じられない背景は、山並みや夕焼け空がいかにも手描きのようだし、土を敷いた床