元旦からもう半月が過ぎたが、降り続く雪に除雪の手を休めない。自宅と仕事場の両方で除雪機を動かさなかったのは二日もあったろうか。 昨日は腰上ほどの屋根の雪を、助っ人のHと一緒にほとんど下ろしたし、今日もやっぱりクルマの上の雪を下ろし、昼前まで工房周辺の除雪に掛かってしまった。 熱いコーヒーをすすりながらPCを開けてメールのチェックをしている時のこと、床下から微かな音と何かが動く気配。ネズミや鳥が立てる音にしてはやや大きめ。でもまあよくあること。数秒で関心は薄まり、コーヒーのカップを口に戻し、何とはなしに窓の外を見やる。 「・・・!ん?、何だ?」 床下から子ダヌキが這い出してきて道路の方にひょこひょこと歩いて行く。この時期に見慣れたタヌキはふかふかの冬毛でからだがまるく見えるくらいだが、この子は夏毛のように痩せている。疥癬にでも罹っているのだろうか。 あの動きならまだ間に合うだろうとカメラを掴んでおもてに出てみると、意外にワダチの雪道を100メートル近く進んでいた。この距離では写真にならないと諦めて見送る。何か声を出した訳ではないのにこちらの立ち姿を認めて立ち止まると、速足で逃げるどころか
Blog
コロナが教えてくれたコト
目に見えない不気味なヤツに、この地球が覆われてもう2年。この間に、人類がこれまであまり意識せずに暮らしていたことを、コロナウィルスが問答無用にあぶり出してくれました。 例えば国境。 犯罪者でもない限り自由な往来ができていた各国の扉は、感染者数が増えるたび他国との協調なしにシャットダウン。素早い対応が肝心とはいうものの、日本人外国人双方で行くに行けない戻るに戻れない例が多く発生。その人たちの焦りやもどかしさは如何ばかりだったでしょう。 例えば各国のリーダーと政治体制。 わずかな感染者でも即座にロックダウンする国もあれば、死者数さえまったく無視してパンデミックを認めない国。他国に責任を認めさせることで失敗から目をそらせようとする国もあれば、情報を力で操作して朝飯まえのように真実を消してしまう国。 例えば経済格差と貧困問題。 途上国ではワクチン接種が行き渡ることなど夢のまた夢だというのに、経済力のある国は、金にまかせて2回分でも3回分でもワクチンを買いあさります。厚顔無恥とはこのことでしょう。他方、このところの新自由主義の台頭は、富める国の中でも、富める層を維持するために固定的な
耐えに耐えて
自宅のすぐ近くに貸し切りバスの車庫というか、かなりの台数が青空駐車されるプールがあります。 そのうち道路沿いに並んで停められた10台ほどが、毎朝の通勤時に嫌でも目に入ってくるのです。ほんの一瞬ではありますが、「あァ、今日もずらっと停まってるな」と、仕事がなくて動かないバスたちを気の毒な想いで一瞥して通り過ぎます。 このバスたち、去年の春までは朝早くから出動していて、ここから見える景色はただ広い青空でした。主に中国や台湾の観光客を乗せて道内あちこちを走り回っていたのでしょう。コロナウィルスの影響は大きく、いきなりブッツリ途切れた外国人観光客は、このバスたちだけでなくホテルや土産物屋に、それまで想像もしなかった打撃を与えました。 去年のGo Toキャンペーンの時と同じように、先月の自粛解除のあとはそれでも歯が欠けたように数台が列を抜けて仕事に出かける様子もあったのです。 世界が落ち着きを取り戻したかのように思われた数週間前、今度はオミクロン株とやらが一旦開きかけた各国のドアを再び固く閉じさせてしまいました。 やはり通勤途中にある、外国人団体客が毎日バスで乗り付けていた焼肉と寿
釧路の夕日
たしかに、印象に残るシーンではあります。 日高山脈の西側に転げ落ちてゆく秋の夕陽。幣舞橋の欄干から海に向かってはもう遮るものもなく、旅情も手伝って忘れられない緋色の世界です。 あまり古い記憶にはないので最近云われるようになったのかもしれませんが、この景観が<世界三大夕日>だというのです。 あとの2カ所がにわかに思いつかないのでNetで調べてみました。 一つはフィリピン=マニラ湾の夕日、もう一カ所はインドネシア=バリ島の夕日だそうです。さらにそれを広めたのは釧路のバーのママ。馴染みのお客さんで外国航路の船員さんが自分の経験として言っていたからというのが話の始まりだとのこと。 世界・・・というからには、大西洋に沈むポルトガルや、太平洋を染めるカリフォルニアの海岸だってあるでしょうし、海ばかりではなく砂漠や雪原にだって見る人を唸らせる日没の景色があるに違いありません。 <日本三大夕日>や<北海道三大夕日>というのもあるようですが、絶対という固定的なものではなく、北海道でいえば留萌の黄金岬や厚田の恋人岬、日本でいえば能登半島の千里浜や出雲の日御碕など、あげればキリがありません。 それらの夕日
ひさびさの・・。
仲間が集まっての呑み会は1年振りだろうか。コロナ禍のせいばかりではない。みんなそれぞれに時を経て、家族も増え暮らしも変わった。 そりゃ当然だ。この工房を作った30年前は誰もが若かった。何によらず集まっては薪をくべ呑んで食った。夏に子供たちは虫を取り武器を作り、冬には犬ぞりで遊び臼で餅をついて食べ、雪まみれになっては焚火で暖をとった。 その頃の子供達が今ではみんな親になり、2人3人と子供を連れての参加となる。 この画像には映っていないが、合わせて10人の子供たちはおもてで大声を張り上げて遊んでいる。この日の大人の参加者は16人、そのうち昔子供だった若い世代が11人。自分たちが子供の頃ここで遊んで育ったことを、わが子にも体験させようとしてくれているのがちょっとうれしい。 今度は雪の季節に薪ストーブを囲みたい。