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冬枯れの原野

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六花亭の包装紙やお菓子のパッケージに描かれた、花の画家として知られる坂本直行氏だが、北海道では山岳画家や登山家としての業績や足跡の評価が高い。 近代登山の黎明期に、北大山岳部の初期メンバーとして日高山脈の未踏の峰々に立ち、十勝の原野に身体一つで開墾に入ってからも、寸暇を見つけては超人的バイタリティーで山頂を目指し、作業の合間に筆を持って山々を描いた。 後年になって画業に専念するまでは、開拓農民としての壮絶な労働のなか、原野の向こうにある日高山脈を憧憬とともに描いたものが多くを占める。キャンバスの幅一杯に青空と純白の山並みが配され、近景としては決まって原野のカシワ林が描き込まれた。他の木々が葉を落とした秋から翌年の春ちかくまで、次の新芽を守ろうと茶色い枯れ葉を枝に付けたまま耐え続ける、この原野のカシワに惹かれるものがあったのだろうか。原野の趣を残すカシワ林に立ってみた。落ち葉をかき分けて歩くとき、まるでポテトチップスを袋からつまみ出すときのような乾いた音が足許にからまり、今も耳の奥から離れない。この林を人力で開墾し、喰う為にこの木を切って炭を焼いた十勝の入植者にとって、この乾ききった音

ピヨロコタンの滝

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日高山脈の懐深く、十勝川支流の札内川を遡った山の中にこの滝がある。 正式には(?)「ピョウタンの滝」と呼ばれ、この滝を中心にした周辺一帯がキャンプ場や公園として整備され、大勢のキャンパーで賑わう夏の一時期を除けば冷涼な空気と静寂を堪能することが出来る。 静かに散策路を歩くとき、この高低差10Mほどの小さな滝が悲しいドラマを秘めていることに気付く人は少ない。今から60年前の昭和30年、周辺流域の開拓農家150軒余りの悲願を集め、赤貧の中から絞り出した資金を使って、ピヨロコタン(小さな砂地のコタン)と呼ばれたこの山奥にダムが完成する。ダムの少し下流に発電所も設えられ、開拓農民はそれまでのランプ生活から電灯の生活に移ることができた。 但し、念願の文化生活もつかの間に終わりを迎えることになる。翌年に発生した集中豪雨でダムは完全に土砂で埋まり、発電所も根こそぎ流されてしまったのだ。 再びランプを引っ張り出しながら悲嘆にくれる農民の様子は想像に難く無い。 ただの小さな落差工となってしまったダムから絶え間なく飛び散る飛沫とマイナスイオンに、かすかな怨念の影を感じるのは私だけだろうか。

晩秋から初冬へ

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先月10日に大雪山の峰々にかかった初雪は、ゆっくりとではありますが、あちこちの頂を白く塗り、峠の国道も夏タイヤでの通行を拒み始めました。 本州の3千メートル級の山々でも初冠雪が始まったようです。噴火で大勢の犠牲者を出した御嶽山でも、7人の不明者を残したまま捜索を打ち切り、来春の雪解け後の再開という決断が発表されました。札幌近辺では平地でも今が紅葉の真っ盛り。10年に1度と言われる鮮やかさは、夏がすなおに夏らしかったからだとか。里山では、ひと夏の役目を終えた無数の木の葉たちが落ち始めています。 晴れた日にははらはらと、風に撫でられてサラサラと、そして冷たい氷雨の今日は水滴たちに促されるように、カサッという小さな音とともに地面に降り積もります。どこからどこまでが舗装路面なのか分からないほど落ち葉の積もった山道をクルマで勢いよく走ると、舞い上がる大量の葉っぱで後ろが全く見えません。後ろから見ていると、子供の頃に見た<隠密剣士>や<忍者赤影>の葉隠れの術のシーンみたいかも。隠れているといえば、まだはっきりとはその姿を見せない冬も、この晩秋の景色の背中に隠れながら息を吸い込んで出番を待っているよ

ルルは何処へ行った

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この欄をたまにのぞいてくれる何人かのひとから聞かれます。「最近キツネたちの写真がないけどどうした?」「ルルは元気でいるの?」 (ウチで飼ってる訳じゃないから、ンナこと訊かれてもワッかりませーん。) 最後に見かけたのが6月の末だからもう3ヶ月も前のことになります。それ以来、パッタリと姿を見せなくなりました。気には掛かりますが、相手は全身に自由を纏った野生のヒト。 で、この本を書いたキタキツネのオーソリティー竹田津実先生に訊ねたのですが、「う〜ん、そりゃ判らんなぁ。やつらは実に気まぐれに引っ越しをするし、しかも8キロ以上も離れることがあったりする。だいたい自然界に於いては5年くらいの寿命だから、もしかしたら死んだのかもしれん。最近では狩猟圧はないが、交通事故や野犬とのトラブル、それに死因で多いのは伝染病だな。」とのこと。 1ヶ月以上もお見限りでひょっこりと姿をみせることがこれまでにも数度ありましたが、こんなに長いのは何かがあったと考えるのが妥当でしょう。いや、ルルではないけれど、キツネはときどき工房のまわりに来ています。たぶん夜のうちでしょう。カヤックのデッキの上を泥足で歩き回ったり、人ん

アキアジフリーク

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四半世紀ほど前からだろうか。 それまでは、「産卵の為の遡上を控えた鮭たちは絶食状態に入って、何も口にせずに淡水に慣れようとする。だからいくらそこに鮭がいてもエサなんかで釣れるもんじゃない。」と、それが常識だったのだ。 誰が始めたのか、まるで裸の王様を見破った子供のように海からアキアジを抜き上げる人たちが出始めた。サンマの切り身をエサにチョイ投げで銀ピカが釣れるのだ。いやルアーだ、やっぱり遠投だ。と、今では秋の声を聞くと北海道中の海岸の何処へ行っても鮭釣りの人、人、ひと。 オホーツク海側、太平洋側、日本海側。北海道を囲う何百何千キロの海岸線が、この時期、10メートルおきに釣竿で囲まれる。そして、その持ち主達は冷たさを増す潮風に耐え、我慢強く竿先のしなりを待つ。それにしても・・、と、おじさんは思う。 周囲の目を集めながら数分間のファイトの末に、濡れた砂の上でバッタンバッタンと暴れるアキアジを押さえつけ、エラに指をかけて疲れたフリして大型クーラーまで運ぶ。 コイツを一度味わったら、みんなフリークになってしまうんだろうな。