捨てられない物、消え去って欲しく無い物のひとつに<ゾンメルシー>がある。 雪上移動のツールとして北欧などでは太古からあったらしいが、最大の特徴は滑走面全体に貼り付けられたアザラシ(英語=シール)の皮だ。後方へ向かって毛足を揃えることで、前には良く滑るが後ろには下がらない。この機能がそれまで足をうずめながら一歩ずつ歩いていたカンジキを用いた雪中行動から、大きな浮力の自由な登行と短時間の滑降が一気に得られるようになった。 ゾンメルシーはドイツ語で、英語で言えばサマースキー。滑るためだけの道具では無いし夏に限って使われる物でもないが、氷河を抱く欧州の山岳部で進化してきたものという。子供の頃、気象台勤務の父親がそのころロボットといった(現在のアメダス)、山上に設置された気象観測設備の自記紙やバッテリーの交換に冬でもこのゾンメルを履いて出かけていたものだ。 20年ほど前まで日本で唯一このゾンメルシーを製造販売する秀岳荘の依頼で、年間300台ほどオーストリア製の板にアザラシの皮を貼っていたことがある。北電をはじめとした全国の電力会社の送電線管理の人たちや、積雪地で活動する猟師、営
Blog
ポンコツ
「今年の冬は楽だア」「こんなに雪が少なくて穏やかな正月は何年ぶりだア」 ところが、というかヤッパリ、「ナメてました。すいません!」となりました。いや、分かっちゃいるんです。毎年のことですから。分かっちゃいるんですが、今週はじめからの連日のドカ雪にはホントまいってます。日本海と太平洋の上に居座る二つ玉低気圧が降らせる雪と、毎日が根性比べの連続です。除雪機は連日のハードワークにあちこち故障するし、足腰も両腕も悲鳴をあげはじめました。今日もこれから作業場とキャンパーの雪下ろしで、仕事なんかやってるヒマがありません。 同年配の友人知人と話す機会があると必ず話題になるのが健康問題。場が盛り上がるほどに、他人の医者通いを聞いては自分の病気を半ば自慢げに話す者。更に酷い目にあったやつが話し出すと、同情したふりをしながら似たような病気で死んだ奴のことを持ち出す輩が必ずいますよね。 満身創痍とまではいかないものの、手足が多発性筋肉痛で膠原病内科、眼が白内障で来月手術、その上かかりつけ医で高血圧と痛風の処方では、この我が身をポンコツと認めない訳にはいきません。
鹿を喰らう
近所のハンターが、工房のすぐ前で獲った鹿を回収できなくて難儀していた。ひと月くらい前からこの辺りでメスを呼ぶ甲高いラッティングコールを繰り返していた100キロを越すような立派な角の牡鹿だ。ほんの20mほどの距離だが、登り勾配に加えて数年前の台風で生じた倒木が折り重なり、放置されたまま荒れ果てている。二人がかりでも大きなアカシアの倒木を乗り越せないで呆然としているのを見て、高みから傍観している訳にはいかなくなった。結果、結構な汗をかいてクルマに積み込んだのだが、世話になったということで、解体を終えたハンターが鹿肉を持ってきてくれた。 骨からきれいにはずしたロースとモモ肉のブロックだったので、カミさんが腕をまくって鹿肉ローストと鹿肉の赤ワイン煮込みを作ってくれることになった。うるさい子供達は呼ばずに大人だけで味わおうと、先週末に鹿を喰らう会を催すことにした。 で、いつもの仲間が集まったのだが、どうもこれまでのイメージとは違ったようだ。工房の呑み会にこんなお洒落な食事は似合わない。ドラム缶を半分に切った焼き台に脚一本や半身丸ごとをのせ、塩胡椒をぶっかけながら焼けたところから各自ナ
夏のさなかに
夏の暑さが続いています。ジッとしていても汗が滲み出る真夏日の先日、送られてきていたスノーシューの修理を済ませました。 岩手のユーザーから問い合わせがあり、修理は可能と伝えるとすぐに送られてきたものですが、暫くぶりに見る20年以上前のタイプでした。それほどハードに使われた様子は無いのに、紫外線劣化のせいか甲の部分のラダーベルトが全て折損していました。 スノーシューの製作をやめてからそろそろ10年になりますが、道内や東北で今でも使ってくれている人がいることを想像すると、ちょっとありがたい気持ちになるのと同時に、可能な限りは修理を続けようと改めて思います。 パーツのストックが無くなって交換不能になった修理もありますが、できる範囲でお引き受けしますので、この欄を見たお困りの方はお問い合わせください。修理は無料、往復の送料のみご負担願います。
就実の丘
オホーツク方面への行きがけに、旭川で<就実の丘>へ寄ってみた。 就実とは地名なのか?いやいや、入植者が夢や理想を込めてその地につける北海道の地名として多いのは共成とか豊岡だろう。しっくりこないのでググってみると、やっぱり地名ではなかった。明治33年に香川県から3名がこの地に入植し、苦労の末に仲間や子孫も増えたのだろう大正3年に<就実青年会>を立ち上げたという。 地元の写真家の注力や”安全地帯”のPVなどで10年ほど前から知られるようになった場所だということらしいが、その場所であることを示す看板が一つあるだけで、いわゆる観光地らしい施設は全く無い。 機械の力で山を削り谷を埋めた近くの旭川空港とは対照的に、あるがままの高低差を受け入れて開墾のクワを振るった、昔日の汗と涙が開いた土地を覆っている。北海道によくある真っ直ぐな道路は、高低差や地質などを無視して机上で引かれた「基線」というヤツで、ここでも例外ではなく駆け落ちるような急坂や喘ぐ登りがその基線となっている。昇り下りを繰り返して地平に消え去るその基線を、いま我々は<ジェットコースターの道>と名付けてスマホのレンズを向け