雪の白さと黒い地面のオセロゲームが始まると、冬のなごりを押しのけるようにフキノトウが枯れ野から吹き出します。地肌にちらばる萌黄色の点々は、遠目にはまるで満天の星のように光って見えています。 コブシやサクラの開花と競うように、これから10日ほどの間に、50センチを越える草丈にまで伸び上がり、何のじゃまもない原野の上を吹き渡る風に種子の綿毛を預けます。そして、用済みになって突っ立ったままのフキノトウの根元からはたくさんの蕗の葉が萌え出し、一面の枯れ野はみどりに変わっていくのです。 遅れて目覚めたエゾヨモギたちがフキの葉の丈を越える頃、今は未だ地中に眠るフキバッタたちの卵が孵って大発生し、音をたててフキの葉を蝕み始めます。そしてその頃です、キツネやタヌキの糞に消化できないバッタの脚が無数に混じるようになるのは。そんな春の原野を優しく踏みながら、立派な三つ又の角を持つオスのエゾシカが、ゆっくりゆっくり工房裏手の窓の向こうを歩いて行きました。なにげなくそのあたりの地面を見ると、軒下の壁際に子グマのものらしき糞のかたまり。といってもこの冬籠り中に産まれた乳飲み子ではないので、明け2才ということに
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もりのクマさん
工房のすぐ近く、前回の画像と同じ湿地で今朝ヒグマを見かけました。工房に置いてあるカメラを持って、足音を立てないようにそっと引き返し、姿が確認できてからは腰を屈め、息を殺してジリジリと間合いを詰めます。冬籠りから目覚めたばかりののこの時期、宿便を出して体調を整えるためにも、こういった水辺に多く生えるザゼンソウやミズバショウ、それにセリ科の植物の根などを掘り出して食する様子が見られます。 15メートル位まで近づきました。浅い水の中に立ち込み、鼻先も水中に突っ込んで何かを探しているようです。カエルかサンショウウオの卵でも見つけたのでしょうか。全身が黒っぽく、顔が明るい茶色で体長が1、8メートルほど。おそらく3才くらいのオスかと思われます。 顔を上げたらシャッターを切ろうとカメラを構えたとき、下からクルマのエンジン音が聞こえてきました。まだそのクルマが見える前にヒグマはさっと山側に身を隠します。 運転していたおばさんはヒグマに気付くどころか、カメラを持って道端でほふく状態のこちらの姿に仰天した様子で通り過ぎました。こちらの存在には気付いていないはず。しばらくその位置を動かず、30メートルほど
春に響く声
いつもグズグズと去りぎわの悪い冬が、今年はあっさりと春にこの土地を任せて退散したようです。工房の近くの湿地から何かの気配がしていました。といっても100メートル以上離れた場所。耳を澄ますと僅かに、ヒリヒリヒリヒリというかシャラシャラシャラというか、何かの生き物が鳴く声がしています。 この時期、雪が消えた水たまりのような水面にカモたちが降りてきて、エサをついばみながら鳴き交わすシーンがよく見られるのでそれでしょうか。 ちょっと確かめてみたくなり、足音で脅かさないようにそ〜っと近づいてみました。 近づくにつれ、ヒリヒリ音はキュルルキュルルという声の大合唱になってきて、どうやらこの音はカモではなく大興奮の蛙たちだと判りました。身体を低くして水面を観察すると、無数のエゾアカガエルたちが水から頭を出し、頬を震わせながら競うように鳴き交わしていました。こちらの気配に気付いた近くのカエルがさっと頭を沈めた水中を覗き込むと、エゾサンショウウオも身をくねらせて産卵に夢中です。 この様子を見ていて<啓蟄>という言葉が頭に浮かびました。冬ごもりの虫たちが穴の中から這い出てくる頃のことをいう啓蟄は、二十四節
春のお裾分け
工房の前に立つ十数本のシラカバの樹は、田中角栄の列島改造論に日本中が浮かれた頃、耕作放棄された畑にいち早く根を下ろした自然界のパイオニアでしたから、かれこれ樹齢50年近くになるでしょう。胸高直径は40〜50cmになり、毎年サクラの開花と競うようにみずみずしい若葉を萌えださせ、やがて初夏には心地良い木陰を作ってくれています。 発芽した幼樹は、まだほかの雑木や笹が生い茂る前に上へ上へと背を伸ばし、20年ほどで垂直方向の成長を水平方向に変えて枝葉を茂らせながら、幹も枝もどんどん太くなってきました。 そんな毎年変わらず元気なシラカバの樹も、いうなればメタボな熟年から初老に差しかかってきたようです。最近では太くなりすぎた枝を台風にむしられ、頑丈そうな幹も重い雪にボッキリ折られて、森の中での存在感が少しずつ縮小してきたように見えます。それでも、今年もシラカバの樹液をいただく季節が訪れました。 幾万の細胞膜を通過して汲み上げられる土の中の水は、ただのミネラルウォーターではありません。チューブを通して押し出す力も、滴り落ちる優しい音も、ほんのり残る甘さと共に心まで軽くしてくれるから不思議です。
受難
この冬、増え過ぎたエゾシカによる被害が、とうとう市街地に隣接したSさんのリンゴ園に及び、全ての木が樹皮を喰い剥がされてしまった。ここまでやられるとどう手当をしても枯死が免れない。去年までに別のリンゴやサクランボの畑を全部やられ、放棄して更地にすることを余儀なくされた果樹農家にとって、どれほど腹立たしく悔しい思いであることか察するに余りある。 座して食害を観ていたわけではなく対策は打たれている。 道路沿いは何十年も前からのオンコ(イチイ)が3メートル近い立派な生け垣になり、他の三方は太い針金を縦横に張った柵で囲われた。しかしその生け垣もシカの首が届く範囲で小枝や葉を食い尽くされ、積雪によって低くなった柵も容易に越えられてしまう。 住宅地に近いので発砲することもできず、自分と家族の生活が野生動物によって蹂躙されていくのを、ただ見ているしかないのか。もし自分がその立場だったら、他人の意見や法の縛りを振り払ってでも戦いを選ぶかもしれない。かたやでそのエゾシカたちに悪意は無く、ひたすら飢餓に耐えて命を永らえようとしただけなのだ。 すべてがその時々の人間の都合とはいえ、天敵だったエゾオオカミを駆