先月末に涼しい夏とグチをこぼしたからでしょうか。8月に入って一転、こんちくしょうとでも言わんばかりに暑い日が続いています。 日中の最高気温はもう1週間以上26度から32度くらいで推移し、夜も20度を上回って寝苦しささえ感じます。 熱帯夜とか猛暑日は無くても、気温と湿度の高さに身体が慣れていない北海道人にとってはじゅうぶん酷暑に値します。 汗疹がでるほど汗をかき、冷たい水をガバガバ飲んで、夕方には気力も萎えてヘトヘト状態。風呂の後に冷えたビールをグッと呑れば、その一瞬だけは復活したような気になるのですが、消費期限の近づく身体は正直に不調を訴えます。あぢい〜っ!と、無意識に口から出てきますが、でもこれも夏。いやこれが夏でした。チリンチリンと聞こえれば条件反射でそれと分かった自転車のアイスキャンデー屋さん。 夕立の後の蒸し暑さが居座り続ける川のそばでホタルを追いかけた夜。 男になるために勇気を振り絞って橋から飛び込んだ冷たい水と焼けた川原。クーラーなんか無く、寝ござと扇風機と蚊帳が定番だったけれど、ヒートアイランド現象やゲリラ豪雨とは無縁でした。 子供の頃を過ごした本州の、正しく暑かったあの
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えぞ梅雨
オホーツク海に居座った冷たい高気圧が動いてくれないせいで、関東から東北にかけての梅雨前線が大量の湿気を伴って北上し、このところ連日の雨天を北海道にもたらしてくれています。 梅雨が無いといわれる北海道ですが、何年かに一度くらいのペースでこの<エゾ梅雨>と呼ばれる減少が発生します。例年よりも北側で停滞する低気圧に向って冷たい空気がオホーツク海から吹き込むせいで、夏の暑さとは無縁ですが、熱帯夜を知らない北国の生活者である我々も湿度の高さには汗ばむ不快を覚えます。もう子供達も夏休みに入ったというのに、海水浴や花火見物に出かける気にもなれないスッキリしないお天気です。 こんな気圧配置が続くと、10年に一度くらいは真夏日のいちども無い涼しい夏が通り過ぎてしまうことがあります。 涼しくて良いですねと本州の知人は言いますが、それではダメなんです。 やっぱり夏には夏の暑さ、ジリジリと照りつける太陽と滴る汗が必要なんです。 涼しさの中で過ぎて行く夏の日に文句は無いのです。でも夏が終わり秋に入ったころから、言いようのない寂しさがまとわりつき始めます。そしてその物足りなさは雪の顔を見るまで続きます。今年の夏が
狼藉のあと
いつもの清々しい朝のこと。犬を連れて散歩に出ようとして異変に気づきました。 クルマの屋根やあたりの地面に大量の干し草。見上げる視線がクギ付けになったのは、壊された換気口のフード。先月あたりからこのフードの中にはスズメが巣を作って子育てを始めたらしく、小さな鳴き声がヂュンヂュンと聞こえていたのです。 忙しく出入りする親スズメを見ながら、黄色い三角なクチバシの雛が顔を覗かせる日を心待ちにしていました。地上からは4メーター以上もあるこの壁の突起は、親スズメもゼッタイ安心と判断して塒に選んだことでしょう。推察するに、状況証拠ではありますが犯人はカラスでしょう。劣化していたとはいえ、プラスチックのフードを、足掛かりもない垂直面でこれだけ破壊できる捕食者は他に考えられません。我が家で起きたことながら、この惨事には全く気がつきませんでした。 暴かれた大量の干し草に混じってフワフワの羽毛だけが残っていて、ヒナたちの姿は見当たりません。ちらばった巣材と一緒に、ちっちゃな恐怖の余韻が漂っていました。
やっぱりキレイだ
製作をやめていたカナディアンカヌーを、およそ10年ぶりに復活させました。 生産中止を惜しむ声もいただいたのですが、需要が減ってきたこと、傷んできた型を作り直す時間がなかったこと、そして最大の理由は、保管状況によっては木製のパーツが腐食することでした。 シートやガンネルに使っている木材をアルミやプラスチックに置き換えるのは、腐食の心配が無くなったとしても決して美しいとは思えず、様々な条件が重なった時に自分で下したジャッジが生産中止だったのです。製作を止めてからも毎年1〜2艇の修理依頼があり、そのつど古くなって折れたり腐食した木部の交換をしてきましたが、また作ってみようと思うようになったきっかけが2つほどありました。 一つは、「東京にいる娘が帰ってくるので夏までに直して欲しい。これはその娘が産まれた25年前に買って支笏湖や道内あちこちに出かけた大切な思い出のカヌーだ。」という話しを聞かされたとき。それから、木製の食器などに使われている、無害で腐食を防ぐ浸透型樹脂の存在を知ったことも製作再開の一つです。 写真は、今月の初め秀岳荘のイベントで洞爺湖へ持って行った時のもので、パドラーは支笏湖畔で
伊藤健次著「アイヌプリの原野へ」
誰にということではないが、この本と著者のことを誰かに伝えようとしてしばし時間を費やした。 学生の頃から知っている伊藤健次のことを何と紹介したら良いのか、登山家、エッセイスト、動物写真家、山岳写真家・・。そのどれもそうで、そのどれかではない。強いて言うなら、それぞれのレッテルの前に「北海道の」と付け足すのがいちばん相応しい気がする。その活動範囲が道内に留まるからではない。 アラスカ、アンデス、北欧、カムチャッカ、沿海州。 チャンスを待つのではない。自らの意思でその想いを切り開き、いつも自分の視点で摑み取ってきたものをやさしく見せてくれる。その視点の根っここそが、決してぶれることなく北海道なのだ。長い付き合いを振り返ると?マークがいっぱいだ。まず彼は、北海道の自然とは縁もゆかりもない埼玉県の北本市で生まれ育ち、高校では甲子園を目指す野球少年だったという。最後の夏休みに<青春18キップ>で日高を訪れ、そこでたまたまアイヌの人達にお世話になったのが彼の北海道の原点のようだ。 そこからがすごい。猛勉強して現役で北大に進み、冬山などとは全く縁が無かったのに<山スキー部>に入ると、猛烈