我が家で飼っていた老犬が逝った。
義母を亡くした義父の寂しさが紛れるようにと娘が買ってきたトイプードルは、それから特に大きな病気をすることもなく、皆んなに可愛がられて17年半も生きることになる。やんちゃな盛りを義父と過ごし、一緒に食事をしたり散歩に行ったりと生活を共にしたものの、3年ほどでその義父も病に倒れ、我が家に引き取られてきた。
当時は工房に建てた犬舎に何頭かのソリ犬がいて、あまりの違いように戸惑った。自宅の周りを散歩させても、何人もの人から「似合わない」「イメージ違う」と言われ、運動能力や賢さは認めつつ、初めの頃は連れて歩くのがちょっと恥ずかしかったものだ。
以来、人目にも慣れ、どこに行くにも一緒の生活が十数年。3年前の九州旅行から帰ってきた頃から少しづつ老化が進み、2年前からは毎日ほとんど寝て過ごすようになって介護生活のような状態になる。去年からはドッグフードをまったく食べなくなり、以来毎日少しの牛乳とたまにほぐした鶏肉を口にするくらいで生き続けるものの、それも昨秋あたりからは手を添えて立たせてやって何とか排泄ができる程度になっていた。
獣医からは「人間にしたら110歳ってところだから、今日明日にも逝っても不思議はない」と言われていたが、それからまだ1ヶ月以上も命をつないでくれた。
上の写真は寝ているだけで、まだ死んではいない8月頃のもの。
11月18日、自宅のソファで膝の上に乗せてくつろいでいた時、とうとう最期の時が来た。写真のような体勢で安らかな表情のまま、心臓の鼓動だけが消えていった。
もう2ヶ月も経とうというのに、ソファの端っこの白っぽいクッションが視界の端に入るたび、当たり前のように彼がそこで寝ているような錯覚が起きる。
べつに追憶や涙に暮れたりする訳でもないのだが、ただの錯覚というよりは幻影に近いような気がする。長い時間を共にしたことがそうさせる一種のペットロスだろうか。