カナディアンロッキーといえば想い出す、コバルト色の湖と雪をまとった岩山。
なかでも、カレンダーやテレビのCMでしばしば目にする、ヨーホー国立公園にあるエメラルド湖は忘れ難い。
大きく引き延ばしたその湖の写真は私達のお気に入りで、つい最近まで30年以上、額に入れて玄関の壁に掛けていたほどだ。
そんな美しい景色の中にもう一度この身を置いてみたいと思い立った今回の旅の計画だが、これまでに何千回も想い出しては悔しい思いを繰り返す、人生最悪の恥ずかしい瞬間ももれなく蘇ることになる。
1977年8月26日、そのヨーホー国立公園内の質素で静かなキャンプ場に泊まったときのこと。
広大なキャンプ場には数組の宿泊者しかなく、私達二人が使うことにした林縁のサイトから見えるのは深い森の緑と白い山頂のみで、いっさいの人工物は視界に入らない。
その晩のメニューが何だったかまでは想い出せないが、惜しげなく太い木を使った大きなピクニックテーブルが備え付けられていたのははっきり覚えている。
食事の片付けを済ませた頃にはあたりはすでに薄暗く、そこから50メートルほど細い道を森に分け入ったトイレまで行くにはヘッドランプが必要だった。
当時の北米でも有料の民営キャンプ場やRVパークでは立派な水洗トイレが常識だったが、こういった質素な無料キャンプ場ではいわゆるピットトイレ、つまりボットンタイプもめずらしくはなかった。日本でもイベント会場や建設現場で昔の電話ボックスほどの仮設トイレを見かけるが、あれのひと回り大きい縦長の箱、それにやはりひと回り大きめの洋式便器が中央に据えてある。
8月とはいえ、金属製の便座は冷たく、座った瞬間に跳び上がりたくなるような衝動をもたらす。
首をまわしてヘッドランプの明かりで箱の中を照らすが、電灯のスイッチらしきものも無いようだし、扉の内側についているはずの掛け金も壊れて取れかかっていた。
まあいいか、べつに便秘じゃないし、すぐに終わって出るんだから・・と、持参したトイレットペーパーを必要な分だけ手元に取り出し、気持ちをゆるめて排便に集中し始めたときだ。
遠くから青年とおぼしき声で当然ながら英語の歌が聞こえてきた。
ああ、だれかキャンパーが来たんだな、声の位置からすると俺たちのサイトの近くかな、、くらいに思っていたのだが、その歌声はだんだん近づいてくるではないか。
マズい!こっちに来る。扉は壊れてるし、どうすればいい?
おそらく数秒感だったがいろいろ考えた。こっちの存在を知らせるにはヘッドランプの明かりだ。でも半分壊れたようなトイレなのに光りが漏れる隙き間もない。ええ〜っと、こういう場合、ノックされたら何て答えたらいいんだ?そうだそうだ。どっかのトイレで中からオキュパイド(使用中)って言われたことがあった。英会話の例文にはSome one in(入ってます)ともあったな。
ますます近づいてくる歌声に負けないよう、すこし力をこめてせき払いをしてみるが気付いた様子は感じられない。
とりあえず、ノックされる前にケツだけでも拭いとこう。それと、いちおうドアをこっちから引っ張っておこう。そうおもってノブに手をかけた瞬間に<その時>はおとずれた。
男なら誰でもそうだが、紙を肛門にあてるのは腕を後ろにまわして尻の方からだ。中腰になったその姿勢で、左手をドアの壊れたノブにかけた状態で外に引っ張り出された。尻を出し、汚れた紙を手に掴んで土の上に転がり出た東洋人の若者。相手の白人青年も跳び上がるほど驚き、Gyaaaaaou!! っと叫んで飛び退いた。なにがギャオ~だ、ノックもしないで開けやがって!!
くるぶしまで下ろしたズボンのせいで、尻をだしたまま、立ち上がることすらすぐにはできない。
ふとももと尻はスリ傷だらけになり、地べたに転がった状態で、下から照らしたその青年の驚愕の顔つきは、自分自身の哀れな姿と共に、40年たった今でも忘れようが無い。