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始めた時、終える時 ⑵

「やいや、大したイイんだワこれ。畑に埋けた野菜取りに行くのに、たんびに雪掘って道つけなくていいもの。」
実家がタマネギ農家という知人に、『よかったら使ってみて』と渡した試作段階のスノーシューを、本人ではなくバアちゃんが愛用してくれていた。
当時のスノーシューのイメージは、アウトドア雑誌が取り上げたように雪上ハイキングのニューアイテムとしてファッション性を前面に押したものだったが、思ってもみないバアちゃんの一言に生活道具としての本来の姿が含まれていた。

翌1996年に製品として販売に踏み切ったときには、米国のタブスとアトラスの2社がシェアのほとんどを占め、TSLもMSRもまだ登場しておらず、価格帯も2〜4万円と普及を考えるとやや高価に過ぎた。
とはいえ、初めのうちは作るほどに赤字が増えるほどだったし、材料の選定にも数年間は試行錯誤が続いた。予期せぬデッキ素材の破断でリコールのような状況もあったし、手作業の行程が多くて生産性も悪かった。
それでも、カメラマン・測量士・電力会社・林業関係者など仕事で使ってくれるユーザーが少しづつ増え、山岳救助隊での活用や長野五輪の撮影機材設置のように、作り手として嬉しい話も耳にするようになる。

以来20年、その間大幅なデザインの変更こそしなかったが、8タイプ各6色とアイテム数は増え続けて煩雑になり、冬の間の手慰み程度で始めた仕事が、多い時には2〜3人で600台以上を作る年もあった。
ここ数年の市場の状況は、西洋カンジキと注釈しなくてもスノーシューで通じるようになると同時にメーカーもアイテムも増え、今では生産現場も多くが中国に移ってマスプロ生産されるようになった。
非常に安価な製品がホームセンターなどでも売られるようになった現在では、ひとつの目標としていた普及という観点からは役目を終えたと考えたい。
全く偶然ではあるが、スノーシューを作り始めた頃に産まれた子供達が、20年の歳月を経て今日社会に羽ばたくという。

今後数年間はアフターサービスは続けるものの、製品の供給は残念だが終了と決めた。
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ほんとうに多くの人達のおかげで長い間スノーシューを作り続けることができました、深く感謝致します。ありがとうございました。

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