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医者はヒトなり

医者もまた人なり。
患者として医者に接する時、ともすれば自分よりも程度の良い人間と位置付けがちだが、いやいや、それはこちらの勝手な思い込みに過ぎないと、あらためて医者自身が教えてくれた。

そもそもは先月半ばに始まった。普段は使っていない眼鏡が視力に合っているのか不安だったし、右眼の視界の下の方に小さい影があるのも気になって、自宅の近くの眼科医を訪ねることにした。幾つかの検査をして、眼鏡の度数は問題ないこと、右眼の影は眼底出血なのでレーザーで毛細管を焼く手術が必要という診断が出る。そして数日後に、網膜を広げる処置をしてレーザーによる網膜光凝固術を受けた。
しばらく休んだ後、出血を押さえる薬を処方され、それが無くなる2週間後に来るように言われて自宅に戻る。
そこまでは良かった。だが、眼があくようになると視界の下半分近くが見えない。時計の針で表すと3時45分の位置から下の部分が黒く、中心付近が歪んで見える。TVで歌う美少女の顔が、まるでムンクの叫びかゾンビのようだ。
それでも、当日は仕方ないものと思って2週間という時間を待つことにした。しかし、3日たち5日たっても変化の無い状況に不安は増幅し、1週間を待たずに状況の説明と相談に出かけることになる。だが、所見はというと「そんなはずはない。手術はうまくいっている」。しかし2週間が過ぎてもほとんど変化がない。言うに事欠いて「原因が分からないからリカバーはできない。ウチが気に入らないなら紹介状を書くから大きな病院で診てもらいなさい。」そのうえ「本日の診察料は・・・・円です。」

調子が悪いからと修理に出したクルマが、動かない状態で戻されたらどうするのか?修理屋としては、そのプライドと責任において修理する。その間必要であれば代車を用意し、たとえ赤字でも代金の請求などありえない。それがフツーの社会常識ではないのか。

知人との世間話で現状を打ち明けると、腑に落ちることを言われた。「その医者は年寄りじゃないの?いくら名医でもレーザー治療だけは若くないとダメだ。0、何秒の反射神経が必要なんだから。」

過ぎた時間は戻ってこない。だが本当にこの状態を受け入れるしかないのか。ほんとうに直す治療手段はな無いのか。多少の不便は我慢するとしても、運転免許が更新できないようなら人生すら変わってしまう。

それを知りたくて門戸を叩いたのは北海道最古の眼科病院。しかし、ここでもまた失望を買うことになる。
「うちではこういう場合にレーザーは使わず注射で直すが、医者それぞれ考えがあるから何とも言えない。それに術後1日目のデータが無いからコメントは出せない。」かてて加えて「そんな状況ならどうしてすぐにウチに来なかったのか。こうなってからでは悪いけどお役に立てません。」ちょっと待って下さい。医者に2週間後といわれれば痛くても辛くてもじっと待つのが患者ってものでしょう。待てずに1週間で駆け込んだというのに、それでも遅いとおっしゃるか。
保身には熱心だが患者の気持ちに関心は無く、目の前のモニターだけを目で追い、そこにあるデータで人を診ようとする。背中にかけられた「おだいじに」のフラットな声は、埋めようの無い溝の深さが空しかった。
どうやら医者というのは、かなり歪で堅いバリアーのムラ社会に生きていて、一般常識をベースにして付合える人達ではないようだ。暖簾に腕押し、糠に釘。憤りはくすぶるが、この救い難い常識のズレを持った人達やその医療業界とはやり合う気にもなれない。

冬至も過ぎ、明後日には新年を迎えて、これからは少しずつ光の春が訪れる。その春が、そして夏が、視界の暗さを振り払ってくれることを願うとしよう。

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