「江戸っ子」とは三代前から東京に暮らしている人、「博多っこ」とは博多で生まれて博多区に住んでいる人。では、「どさんこ」は?「さっぽろっこ」は・・? 北海道民はおう揚だからそんなに厳密な条件なんてない。北海道で生まれた人なら道産子。札幌で生まれた人は札幌っこじゃないの?
いやいや、先日の北海道新聞に「札幌っ子」の定義が載っていました。それによると、<定山渓鉄道の記憶がある人>というのが条件だそうです。こりゃまたずいぶんと絞り込みましたねェ。初めて耳にする定義です。
東札幌駅と定山渓を結ぶ鉄道は、定山渓温泉の湯治客だけでなく、豊羽鉱山の鉱石を積み出し、石山地区で切り出された札幌軟石を運んで、札幌市南部の発展に多大な貢献がありました。しかし徐々に押し寄せるモータリゼーションの波と、札幌オリンピックを迎える街作りの大きなうねりに抗えず、地下鉄南北線に後を譲るかたちで廃線となったのです。その後は東急グループの傘下で、「じょうてつ」として現在も札幌から定山渓・洞爺湖方面のバス輸送を担っています。
オリンピック前に姿を消したこの「定鉄」の記憶がある人といえば、「そういえばあったような・・。」という人を含めて、若くても50代から60代ではないでしょうか。
札幌オリンピックの年からこの街に住むようになった私には、当然ながらこの鉄道が走る姿の記憶はありません。しかし当時はいましがた無くなったばかりの鉄道の気配がそこここに残っていました。いえ、今でもその気で眼を凝らせばあちこちにその痕跡が見つかります。
すすきのから豊平橋を通って定鉄の駅まで延びていた市電のレールこそとっくに無くなりましたが、豊平3条8丁目の定鉄本社裏に残る豊平駅のホーム跡や、石山中央で今も地域の会館として親しまれている「石切山」駅舎が残っています。また、地下鉄南北線が平岸を過ぎて地上に出てから、終点の真駒内まで続くシェルターは定鉄の線路跡を走っていますし、その真駒内駅を過ぎてからも路床跡は石山陸橋へ、さらに切れ切れながら豊平川と国道の間を定山渓まで続いています。
宅地が拡がったり国道の付け替えや拡幅などでだんだんその痕跡が薄れて行きますが、大都市になった札幌の、ほんの半世紀前の様子を想い返すのは、知らないでいるよりもずっと心を豊かにし、この土地への愛着を増してくれるはず。
昔のことを覚えている人と一緒に、その頃の話を聞きながら国道230号線を走れば、定鉄を見たことのない世代でも立派に「さっぽろっこ」ではないでしょうか。