2年ほど前、なま返事を繰り返す消極的な私に業をにやした家人が、日帰りの人間ドックを電話予約するという強硬手段に及んだ。
その存在を知ってはいたが、新しく建て替わった総合病院の回転自動ドアに吸い込まれ、そして数秒後に、高い吹き抜けで正面奥にエスカレーターが設けられた、ホテルのような広いエントランスホールに押し出される。
病気ではないので正面右手の受付には進まず、右に曲がって、併設された<健診センター>へ向かう。健診の始まる時間より前だというのに、100人も座れるような待合室はほぼ満員。しかも、中年以上の男女全員が同じベージュ色の受診衣に着替えて呼び出されるのを待っている。
Uターンして帰りたい衝動を覚えるが、俎板の鯉と諦めてベージュのパジャマを受け取った。
身長・体重・視力から始まり、検尿、採血、レントゲン、心臓、肺など、名前を呼ばれるたびに、指示された部屋に入ってはおとなしく検査を受け、最後にそのデータを元に医者から健康状態の説明を受ける。
結果、血圧・血糖値・コレステロール等に難点があるが、それよりもPSA値から見て前立腺ガンの疑いがあるとのことで検査入院を指示された。
数ヵ月後に3日間ほど入院して、検査のために全身麻酔の手術を受けることになったのだが、その時の腹立たしく恥ずかしい体験は又の機会に譲ろう。
それよりも今回は健診と検診だ。健康診断はその目的として、様々な数値から悪いところがありそうなところを見つけ出す。そして見つかった悪そうな部分はさらに検診して、確認できればその病気と症状にあわせた診察と治療に移行する。
様々な<数値>は、9割もの人に不安と恐怖を提供し、問題無いとされた少数の人にも将来の不安を提供し続ける。30兆円といわれる巨大な医療ビジネスは、この完成された不安提供システムによって成立していたのだ。多くの現代人はこのシステムに絡めとられ、平均値との数字のひらきに一喜一憂しながら暮らすことになる。
我が事といえば、その検査入院以来数カ月おきの血液検査を指示されることになった。その間は薬を飲むわけでもなく、普通の生活をして次の検査の数値を見る。
呼ばれて入った診察室で、毎回違う医者がパソコンのモニターを見ながら、毎回「特に問題ありません」とこちらの顔を一度も見ずにそう言う。そして「次回は○月○日に」と・・。
生活上の注意点など訊ねても、いちおう暴飲暴食や喫煙は控えるようにとの当たり前のアドバイスがあるだけ。「検診を止めたいのだが」との問いには、「もし見つかったときには手遅れだから」???と、やはり顔を上げずに答える。
この検診をやめることにした。出費の多寡でも時間の問題でもない。自分の意思が介在する余地の無い、目も合わせない医者との数分間の関係が、全く意味の無い時間に思えて仕方ないのだ。私の人生の幸福はここには無い。たとえ手遅れになったとしても、自覚症状を覚えたり、苦痛に耐え切れなくなったりしたら、治療を受けることにしよう。