ホタルの頃になると必ず思い出す人がいます。既に故人ではありますが、芥川賞作家の高橋揆一郎さんです。始めて会ったのはやはり20年位前、新聞社の企画でホタルに付いての対談でした。誰もが知る大物作家と、カヌーや犬ぞりを作っている誰も知らない日曜大工オヤジの対談など誰が思い付いたのか未だによく分かりません。
酒とマイクがセットされた席につく前に、ホタルが置かれた現状を見て欲しいとお願いして、夜が始まる頃に西岡まで来て頂きました。
車から降りてきた高橋さんは、築地の料亭から出てきた川端康成か江戸川乱歩かと思わせるボサボサ髪の着物姿で、こちらを身構えさせるに充分なインパクトでした。
それでも、説明には「フムフム」と頷き、ホタルの生息域の木道にさしかかる頃には、灯りを消すようにとのお願いに、お付の人が足元を照らしていた電燈を消させ、履いていた下駄を脱いで足袋裸足で歩いてくれました。
暗いせせらぎの傍に立ち、差し出した指の先にとまったホタルの、熱は持たないが暖かいあかりに、獅子頭のように厳ついその顔が柔和な表情に変わったのを今でも思い出します。
後で聞かされました。 「いやー、実は初めて見たんだ、ホタルを。炭鉱育ちでね、選鉱場からでる真っ黒い水で川にホタルなんかいなかったんだよ。いや、それにしても奥深い!」
席を変えての対談取材は酔うほどに時間を度外視しての大盛り上がり。
誰かの「もうテープがありません」の大声は覚えているものの、おひらきが何時だったのか・・。
「伸予」で芥川賞を受賞するまで、「観音力疾走」や「日陰の椅子」などで3度も候補になったことからも、その力量は疑う余地がありません。しかし、作風といえば言えなくもないのでしょうが、どの作品にも歌志内という小さな炭鉱町で育った作者本人の色が感じられ、その文章に触れる北海道人に親しみを付け加えることになります。
その後も多忙な文筆業の傍ら、反骨の農民画家<神田日勝>美術館の名誉館長を引き受けるなど、精力的な活動を続け、2007年、もう会えない人になりました。
「あなたには着物よりぜったいに作業服の方が似合うと今でも思っています。もしまた会えることがあるとすれば、そのへんの居酒屋で、ホタルの哀しさを話しながら一杯やりましょう。」