昨日の写真の黒いウンコあとの道路左側。道端のフキ原にたたみ3畳ほどの円座ができている。昨日の朝、ここにはでっかいオヤジが座り込み、寝そべり、手近なフキを口に運んでモグモグやりながら、満ち足りた時間を過ごしていたのだ。
その姿を想像すると、こちらも心の端っこが柔らかくほぐされるような気持ちになる。
だが、同時にこういう現場を恐怖や災いの対象としてしか見られない人たちも多くいる。毎年のこと。こういう痕跡に気付いたり、クマそのものを目撃してしまった人は、その緊張や恐怖を抑えられずにまず110番して警察を呼ぶ。暫くしてミニパトに乗った警官が到着。事情を聞いたあと、もし近くに人家でもあれば本庁に無線を入れて猟友会に出動要請。大勢でその痕跡をたどり、山狩りの末に銃で命を奪うことで一件落着。
全ては相手の事がよく分からないのが原因だ。「放っておくと何をするか分からない」「トラブルが起きてからでは遅い」。それが自分を上回る相手や集団、あるいは国家の場合、自らの安全を守るためという目的を掲げながら、実は不可解ゆえに増幅する恐怖心から逃れるために武器を手にする。
領土拡張や資源奪取が直接の目的でない争いごとは、人類史以前から止むことがない。関東大震災や太平洋戦争の後に、我々は不安を転嫁してデマゴーグを使い、朝鮮人狩りをしてしまった近代史を持つ。ヒグマの場合、相手は人ではなく物言わぬケモノだし、その規模も問題にならないくらい小さい。 しかし、その根っこにあるのは不信が生む恐怖ではないか。
人間社会の中に異端や異常者がいて犯罪が絶えないように、ヒグマを含む全ての生物界には異常行動を起こすものがいる。原因が人の側にあったとしても人間社会の食料に執着する個体、人間や家畜を食い物と認識してしまった個体、そういうものが現れた場合には断固排除しなければならない。実際、残念ながら何年置きかにそういう個体が出現する。しかし、北海道全体で推定3千プラスマイナス5百頭とされるヒグマのなかで、そういう<悪い熊>の比率はどれだけというのか。人間社会の犯罪者よりはずっと少ないのだ。ほとんど全てのエゾヒグマは、この北海道の生物界の頂点に君臨しながらも、密やかに慎みをもってくらしている。
北海道にヒグマが生息していることを、道民みんなが誇りに思える日が来ますように。