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となりのオヤジ

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今朝、仕事場に来たら工房の前に新鮮で大量の熊のウンコ(左下の黒いシミ)。
2〜3kgはある黒い糞の山が2箇所。しかも、不敵にも道路の真ん中。その量からして確実に200kg以上あるオスの成獣だろう。
この時期は柔らかいフキなどの山菜を大量に食べる。だからアクのせいでウンコは真っ黒、しかもいくぶん下痢気味。
朝の陽をあびながら、でっかいヒグマが道路の真ん中で、まるで力士の仕切りのような格好をしながら空ろな眼でイキんでいる姿は、想像するだけで笑えてくる。

あまりに大量なので写真に撮っておこうとしたら、隣の(といっても250M先)ドッグスクールの先生がクルマで戻って来ると、角スコップですくって草薮に捨ててしまった。
「熊が出るなんて風評でも立ったらお客さんが来なくなる」のだそうだ。

里山とはいってもここは北海道。感じ取ろうとしてアンテナの感度を上げさえすれば、いつでもヒグマの気配はそこにある。開拓期から、人はその痕跡と気配をいつも感じて暮らしてきた。だからこそ、拭い難い恐怖と同時に畏敬と親しみを持てる存在として、オヤジあるいは山オヤジと呼んできたのだ。

ヒグマはその体躯とパワーから<猛獣>とされ、謂われなき排除圧を加えられているが、好奇心が強くてうっかり人里に姿を見せ、駆除されてしまうのはほとんどが若い個体。10年いやそれ以上生き抜いて300kgにもなったヤツは、そうとう用心深くて臆病な個体ということになる。
近年、爆発的に人間が増え、安らけき生息圏の奥深くまで侵蝕が及んだが、姿を見られただけで殺されるという理不尽さに耐えながら、それでも彼等はなんとか生き続けてくれている。小野田少尉、横井上等兵もしくは劉連仁さん等がそうしたように、同じ時間と空間に生きながら、可能な限り接触を避けて暮らしてくれているのだ。

人間の傲慢さで絶滅させてはならない。不必要な刺激を避け、ひとつの島の中でじょうずに暮らせてこその<北海道>ではないか。

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