「白きたおやかな峰」という本がある。医者でもあった北杜夫氏が、カラコルムのディラン峰の遠征隊に随行した際の、小説というより随筆のようなものだ。初めて読んだ昭和40年代から、<たおやか>という語句がずっと気に掛かっていて、Amazonで見つけた320円の古い文庫本を1500円で手に入れたのを期に再読した。
ディランはパキスタンの奥地、ヒマラヤの西にあって、標高こそ7千米に満たないものの、かつて新谷暁生氏らが遠征したラカポシと深い氷河の谷を挟むように位置する、人間を拒むかのような岩峰だ。
著者は、長く乾いたキャラバンの途上はじめて見えた谷の奥の白い山を<たおやかで白い>というイメージを持ったのだろう。しかし実際のディランは岩と氷の山で、近づくほどに<たおやか>という女性的なイメージとは程遠い。
札幌の中心街からは見えないが、街を貫く豊平川をずっと遡った水源近くに、秋10月から夏の7月まで白い雪を纏った無意根山がある。毎朝川沿いの道をこの無意根山に向かってクルマを進めながら、「この山こそ白くてたおやかなイメージにぴったりだ」と自分一人でずっと思ってきた。
11月から5月までの半年以上は「雪の蔵」とも云えるほどに純白で、その大量の雪を盛夏に向かって少しずつ水に変えてくれるからこそ、梅雨の無い札幌でも水不足で渇水することがない。
標高こそ1500米に満たないが、この山から押し出された扇状地に札幌市が広がり、限りない水の恵みを施してくれる「母なる山」なのだ。
無意根山はアイヌ語のムイネシリ、日本語としても使われるミノ(蓑)のようなシリ(山・大地)という意味で、アイヌ文化では珍しく山の姿を見立てて名付けられている。
この山を登る道の両側は深い藪だが、最後の一踏ん張りで稜線に出ると高山植物たちも迎えてくれる。南の端にあるピークまではもうゆるやかな雲上の道。右手にニセコの山々や日本海、切れ落ちた左手の先には夕張や日高の峰々から天気次第で大雪の山まで、汗に濡れた首筋をさわやかに乾かしてくれる風を連れてのハイキングだ。
こうして毎日この山を見つめながら、随分長いこと登っていないことに想いが至る。この先も足は遠退く一方だろう。しかしその時々の山の様子ははっきりと思い描ける。今ごろ大蛇ガ原ではワタスゲが風にゆれているか、馬の背あたりではキバナシャクナゲが咲いた頃か・・。
札幌に住んで、春夏秋冬長くこの山に親しんできた。その意味でもこの無意根山は、自分にとって「白くたおやかな、母なる山」なのだ。