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ここは奈良か!

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毎朝の通勤時に、道路脇や山の斜面にエゾシカの姿を見つけるのがこの時期の小さな楽しみだ。といっても、それは鹿には全く関係ない人間の勝手。鹿の方にしたら、木の皮や枝先の冬芽で飢えをしのぎ、身を隠すものさえ無い裸の雪山で、死を排除するためにあえて緊張と対峙しているだけなのだ。以前にも書いたように、車で走りながらシルエットでその存在を確認するのだが、チラッチラッと主に右手水平方向を見やるだけで、斜面の上方や遠方まで注視することはできない。そうやって、その視界の範囲で認められるのが、少ない日は2〜3頭、多い時で10頭くらい。しかも群れを持てなかったオスばかり。それがこの十年くらいの平均値だった。 それが今年は大きく変化した。通勤時のわずか数キロの間に60頭以上。昨日も30頭と20頭の大きな群れ。それぞれ統率がきいていて同一方向に移動している。加えて明らかに大きさが違う幼獣や角のないメスがほとんどのようだ。これは明らかにはぐれオスの集まりではない。 写真は採石場跡地の斜面に植栽された若木に集まるエゾシカたち。すぐ近くには市街地が広がり国道も走る。天敵がいないとはいえ、奈良公園でもあるまいし、こう

ビブラム神話

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いかにも米国的で無骨なこのソレル社の防寒靴を、冬の間じゅうずっと履き続けてきました。おそらく今度の靴で5代目か6代目ですから、愛用するようになってからもう30年以上にもなるでしょうか。 靴底の減りが気になり出した3年ほど前から、買い替えようかなと思いつつ、ビブラム神話に捉えられて今ひとつ踏み切ることができませんでした。”ビブラム神話”。そんな言葉は聞いたことがありませんし、自分で勝手に作った造語ではありますが、目からウロコの体験をして初めてビブラムソール(靴底)を特別視していた自分や周囲に気付かされたことを考えると、いちばん状況を言い当てている言葉のような気がするのです。それまでの厚い革製の靴底にたくさんの鋲が打ち込まれた登山靴に較べて、70年ほど前にイタリアのビブラム社が作り始めたゴム製の靴底は、その性能において圧倒的優位を主張し、ほぼ10年ほどの間に鋲靴を駆逐して登山界に君臨することになります。日本の登山界においては戦争の混乱を挟んだためにやや遅れはしましたが、ナーゲルの名で親しまれた鋲靴が1950年代をもって姿を消し、1960年代にはビブラムソールを貼付けた登山靴がとって代わり

潔よくあれ

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前回「武士は喰わねど」と書いてから、つれづれに今は亡き父親のことを想い出しています。 人生に大切なこととして伝えておきたかったのか、それとも半分は自分自身に向っての呟きだったのか、今となって判別することはできませんが、数十年の時を経た遠いところから浮かんでくる言葉があります。 「心頭滅却すれば火もまた涼し」・・そんな超能力者を見たことも無く、理解不能と不信に固まる子供の私に、その言葉の意味と共に、父が判り易いいくつもの例え話しをしてくれました。そのたびごとの話は覚えていませんが、精神で己を律するというその文言のエキスは、現在に至っても後頭部の裏側に棲み付いています。 ただ、親父としては、「欲しがりません勝つまでは」という、その意図において本来の意味とは似て非なるワードを受け入れてしまった自身の若い頃に、残した想いがあったようでもありました。質実剛健、潔さを旨とし、己を欺いて易きに流れず、遥かな道程も一歩づつ。 父親が言いそうなそんな言葉を並べていると、自分の中の親父像の輪郭線が濃さを増してきました。 加藤文太郎のような、そして新田次郎のような、石州郷士を形にしたような父親が、のぞき込む

サムライの子

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懲りずに毎日降り添える雪を除雪していたときのことです。思い切り遠くまで飛ばしてやろうと、除雪機を高速回転にするのですが、強い向かい風には勝てません。つぎつぎ飛ばす雪のほとんどは思った位置より手前に押し戻され、なかんずく自分自身の目といわず耳といわず全身が真っ白。 そんな時、エンジンの音に消されながらも何げなく自分の口から出た言葉にハッとしました。「・・サムライの子は腹が減ってもひもじゅうない・・」 口癖というほどではないにせよ、子供だった私に亡き父親がときどき投げかけた言葉でした。「武士は喰わねど高楊枝」を子供向けにアレンジしたものだったのでしょうか。いや、父親自身も周囲の大人からそう言われて育ったのかもしれません。 身分や階級が無くなった今では、いにしえから続いた武家に生まれ、自らの身体に侍の血が流れていることなど何の意味があるのでしょうか。いえいえ、これは自分自身の精神世界にとって非常に重要な、いわば心の軸のようなものでしょう。空腹時に唱えるおまじないではなく、身体的に苦しい時、金銭的に切ない時、いわば追い詰められたときに自分自身を諌める言葉として何度も何度も繰り返してきたような気

それぞれの冬

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誰かれとなく、ちょっとした挨拶代わりに「いやァ、雪少なくて楽だねェ」と言葉を交し合っていたのもお正月まででした。先週半ばから3日続いた降雪で、工房の周辺は一気に1メーターを超す雪原となり、あまり嬉しくはないものの、見慣れた真冬の景色が広がっています。今年も南向きの斜面にはエゾシカのオスたちが集まってきました。といっても、大きな群れをつくるのは強い牡に率いられた子供や牝達で、ここで厳しい冬の間を過ごしているのは、それが叶わなかった淋しいオスたちです。 陽当たりが良く雪もあまり深くない斜面を見つけたものの、お互いに牽制し合い、かといって心細さはふっ切れず、広い林のあちこちに付かず離れず散らばって灌木の冬芽や木の皮で命を繋ごうとしています。 吹雪の中、すさぶ雪のカーテン越しに、まるで根の生えた木になってしまったように動かず耐えている牡鹿が見えました。無彩色の枯れ野の中では色によって識別することは困難ですが、目が慣れてくるとジッとして動きが無くてもそのシルエットで判ります。立派な角の頭から背中まで雪を乗せ、目は固く閉じたまま、鼻腔も半分ほどに縮めて呼吸すら控えているような気配は、まるで無我の境