繰り返しタイヤに踏みつけられ、何ヶ月も冷気にいたぶられて分厚く凍て付いた道路脇にミズナラの枯葉が貼り付いていた。 秋の終わりにこの枯葉が葉としての役割を終えてからずいぶん時間が経っている。それに全ての落ち葉は厚い雪の布団の下で土になる準備をしているはず。どういう力がどんな経緯でここに運んだのか。春まで枝から落ちずに冬芽を守るカシワの葉ほどではないが、ミズナラも、特に若木の枝先の葉は、自分の足許に芽吹いた来春の命を冬になっても離そうとしない。雪つぶてに引き剥がされ風に運ばれてここまで来た。この画像。真上から撮ったので判りにくいが、枯葉の周囲は5センチほどの穴になっている。もちろんこの深みはこの枯葉自体が溶かしたものではなく、春の太陽がその力を示したものだ。しかしそれならばなぜ一様でなく穴ができる?これこそこの枯葉の力ではないか。陽光を反射せずにその茶色の葉に蓄え、周囲の氷をゆっくり水に変えていく。そんな当たり前の事と子供でも笑い飛ばすだろうが、ならばじっと我慢して氷に掌を押し付けてみてほしい。5センチどころか5ミリの窪みだって作れないはず。一枚のわくらばが春呼ぶ力を教えてくれた。カシワ
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記憶を手繰る
冷えきった身体を湯ぶねに浸して二度ほど唸ったあと、やや間を置いて子供の頃に聞き覚えた民謡が弛緩した腹の奥底から出て来た。半世紀も前のことだから順番こそ違うかもしれないが、つらつらと次から次につながって歌の文句とその頃の情景が脳の奥でフラッシュバックする。浜田え〜エ 浜田港から向こうを見ればア 大豆畑のサマ 百萬町 チャラツチャラチャラ チャラツチャラチャラ チャラツチャラチャラ 浜田え〜エ 浜田育ちは気立ても違う 烈女おはつのサマ 出たところ チャラツチャラチャラ・・と、唄自体はどこの町にもあるご当地民謡だ。想えば、島根県の浜田市に暮らし、この唄を耳にしたのは幼児か小学生の頃。酒の席で唄いながら覚えた訳ではない。普段は生真面目な父だったが、酒がはいってすこぶる機嫌が良くなったときに唄ったものが、子供の耳に棲みついていたのだろう。 日常の暮らしの中で歌を歌うことなどあまり無かった頃のこと、いつになく大きな声量が少し怖かったような記憶もあるが、それよりもこういう状況は子供にとっても楽しみに繋がることをやがて覚えた。忘年会のようなあるいは歓送迎会のようなものだったのか、年に何度かある宴席のあ
いよいよ・・
いよいよだ。もうじき始まる。 3月半ば。 うまくいって10日間。年によっては1日あるかないか。 何もじゃまするものの無い完全な自由。陽光と冷気のコラボレーション。 スノーシューなんていらない。ツボ足で何処へでも行ける。、 凍り付いた堅雪の表面はメタボなおっさんの体重でも破れない。 ほんとの地面より靴底が1メートルも高い。視線さえふわっと高くなる。 一面真っ白な草原の上を過ぎ、明るい森を突き抜け、沢水のせせらぐ音に足を向ける。 密生した笹薮も雪の布団がなだらかな斜面に変え、力を蓄えた春の光が覆う。この堅雪の上を犬たちと一緒にずいぶん歩き回ったなあ、あの頃は。 シベリアの遠い記憶を体内に秘めた3頭のハスキー犬がいつも一緒だった。 底抜けの開放感に面食らい、やがて湧き上がる歓喜からまるで逃れるように、身をよじって走り回ったものだ。 犬たちがいなくなってからずいぶん経った。今年の冬は暖冬だった。1月こそ降雪が続いたが、最低気温は−13℃どまり。日が長くなり、小鳥たちが活発になり、根開きも始まった。堅雪を何度か楽しんだら、さあ、今年の仕事のスタンバイだ。
毎朝の山
この二十数年間、毎朝、仕事へ向うフロントガラスの先にこの山を見てきました。いや、改めて振り返ってみると、確実に前方にあったのに目で見てははいない時もあったように思います。それほど当たりまえの風景として意識を引きつけなかったのでしょうか。この画像は、工房へ向う道を通り過ぎてもう少し先に進んだところから撮ったもので、いわば正面からみた黒々と雪の着かない山頂を持つ<八剣山>です。 今ではどの地図にもそう表記されて、山好きの人達や札幌南部の住人にはよく知られた八剣山ですが、昔は五剣山と呼ばれており、更に古い5万分の1地形図には古名の観音岩山と書き込まれています。周囲の山と較べても決して高い訳ではありません。むしろ5百メートルの標高自体は周りの山々よりもかなり低く、この特徴的な山頂部の岩稜がなければ、おそらく名前さえ付けられることも無かったでしょう。実はこの山をずっと通り越した視線の先に、純白でたおやかな1464Mの無意根山があるのです。9月の初雪から残雪輝く7月まで、晴れた日にはどうしても真っ白くなだらかな稜線に視線を絡めとられます。そんなわけで、普段はあまり目を引くことのない八剣山ですが、
除雪
工房の除雪風景を初めて写真に撮りました。 これまで冬の間はほとんど一人の作業だったので、除雪する自分を撮れる訳もなく、ましてそんなことを思いつくことすらありませんでした。写真は息子が調子良く除雪機を操作する様子で、晴天の下、気持ち良さそうでさえありますが、いやいや、どんどん降り積もる雪と競うような猛吹雪の中での除雪は、つらさもさることながらシシュフォスの神話のような無力感に取り憑かれます。それでも、こうして除雪機で雪を跳ね飛ばすなんて、この場所に移って来た頃からすればまるで天国。なにせ、ここを開墾してから最初の頃はすべてが手作業。今よりも格段に若くて体力もみなぎっていたとはいえ、スノーダンプで運んでは積み上げる作業を何十回も繰り返すと、流れる汗が長靴の中にまで滲み入るほどでした。 知人のK工場長から不要になった小型除雪機をもらったのは5〜6年経ってから。 次から次にいろんな場所が壊れるポンコツでしたが、それでもありがたくて修理が苦になることはありませんでした。今のこの除雪機が来たのは10年ほど前。セルモーター付きで簡単操作、快調かつパワフルに雪を飛ばしてくれるコイツに、なんというか、