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イモムシの暑く長い夜

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今晩の予想最低気温は25℃。144年の観測史上初、3日連続の熱帯夜。 自由に動けないみじめなイモムシの夜は長く、寝苦しい夜はなかなか朝を引き渡さない。ジツは我が家には居間にエアコンがついている。10年ほど前に、遊びに来る孫娘のために思い切って設置したものではあるが、北海道人としてはこのリモコンにさわることに大きな抵抗がある。「クーラー要らないのが北海道じゃないのか!日和りやがって。裏切り者。」どこかから聞こえて来るそんな声を振り切れないので、いまだにリモコンにさわったことが無い。そんなやせ我慢オヤジを鼻で笑うように、カミさんは手元も見ずに室温やタイマーをセットする。さすがにこのところの熱帯夜。一言も抵抗を示さず無言で恩恵に与っている自分が情けない。   高熱は収まってきたが、バーターでもあったように痛風がひどくなってきた。次回の診察は週末の予定だが、痛みを何とかしたくて、もともと痛風で何年も前から掛かっていたなじみの整形外科医に診てもらった。左足第一指(親指)は、食べ頃で大振りのプルーンのような紫色になってきた。 「症状が出たのはいつから?その総合病院では点滴をした?レントゲンは?えっ

発熱その後

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原因不明の急な発熱から1週間。40度台の高熱はまる3日間で終わったものの、38度台の頭がボンヤリするような状態は1週間過ぎても変わらない。   否、今度は全身の関節や筋肉が痛くてたまらない。インフルエンザなど、高熱が収まった後に関節が痛くなるのはよくあることだし、めちゃくちゃハードな登山などの後2〜3日後に襲われる階段も昇れないほどの痛みは覚えがある。 しかし今回のそれは過去に経験がないほどのヒドさで、歩くことは勿論、布団から起き上がることすら容易でない。決意を固め、掛け声というよりはうなり声を発しながらやっとの思いで立ち上がる。この立ち上がった体勢でしばらく呼吸を整え、いろんなものに掴まりながらそろそろとトイレに向かうのだが、シビンを買ってきてもらおうか、それとも何か代用できるものは無いかと本気で考えた。   こんな状態ではまったく仕事が出来ない。この痛みを思えばそのうち治るとタカをくくっている訳にもいかない。加えて指先には膿が溜まって腫れ上がり、幼児に多い<手足口病>の際に手や口の中に出来るミズイボのようなものが、その指の付け根あたりに固まってできている。さらに驚いたのは風呂上がり

異常高熱

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金曜日のお昼頃、そいつは突然襲いかかってきた。 猛烈な足のダルさに立っていられなくなり、フラフラしながら外へ出て座り込んでしまった。まぶたにも力が入らず、引き下ろされるように上まぶたが下がってしまう。うあっ!こりゃダメだ。風邪かな? ちょっとでいいから横になろう。 1時間ほどソファーにひっくり返っているうちにどんどん熱は上がり、全身から大量の汗が噴き出してきた。またこのソファーが布製クロスではなく革張りとあって、水気の吸い込みが悪く、触れるだけで気持ち悪いことおびただしい。    とぼけた顔でいつものように帰宅したのだが、異常な風貌だったのだろう。一瞬でカミさんに見破られ、極細のカンチョーのようなやつを脇の下に差し込まれる。 「なにこれえ!39度7分もある」の声を遠くに聴きながら、何とか着替え、いろんなクスリを冷水で腹に流し込むと、布団の中で自覚の無いままキゼツする。   夜中の3時過ぎ、我が家の老犬が布団の上にあがり鼻を摺り寄せておしっこを知らせるのがルーティーンになっているが、それまでに何度起き上がっては氷を浮かべた水をガブ飲みしたことか。シーツは何リッターもの汗で、洗濯を終えて乾

湖畔にて

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友人からの誘いで30年ぶりに湖畔のキャンプ場へ出かけてきました。 巨木の森をうねうねと通り抜けた先の、静かな水辺にひろがるキャンプ場は、当時としてはめずらしく車で入れるうえに細かい制約がなく、半世紀前にはすでに美笛キャンプ場としてキャンパー達から相当な支持を得ていました。 我が家も子供たちがそれぞれ忙しくなるまでは、立ち木の位置まで把握するほど足繁く通ったものでした。 記憶に残る最後の回は、暗くなってから隣に大勢の人達が陣取り、トラックで運んだ足場でステージを組み、大音量でカラオケ大会を始めたものでした。子供達の手前思い切って抗議をしましたが多勢に無勢で相手にされず、管理人に訴えるも注意さえしてくれずに尻込みされ、憤まんを抱えたまま夜中にそこを引き払って暗い山中の沢沿いに止めたキャンパーで寝たことを想い出します。 その後、湖畔を一周する道路の札幌側の一部が通行止めとなり、かなりの遠回りを強いられるようになって、自然と足も遠のいていきました。3年前に空知や日高を襲った豪雨の際には、このキャンプ場も地形が変わるほど激流に傷められ大量の流木に覆われて1年間の休業を余儀なくされたようです。

半年ぶり。でもまた焚き火!

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以前使っていたブログが1月に終了となり、半年ぶりに再開しようとしたら期せずしてまた焚き火の画像。よっぽど好きかと思われそうですがそういう訳ではありません。いや、ほんとはやっぱりこうした小さなイベントが好きなのかも。   半年近くも書き込みをしないでいると、何かをどこかに置き忘れているような、それでいて何をするにも億劫な、そんな日々を過ぎ去らせて来たように思います。インスタグラムやツイッターには縁が無く、Facebookに登録こそしたものの使い方が判らない、否、知ろうとしないと言った方が正確かもしれません。   この半年の間、工房の周辺でもいろんな変化がありました。2頭の子連れの熊や若い個体を頻繁に見かけましたし、見落としようがないほどたくさんの痕跡が濃厚にその命の存在を主張しています。今年もアオダイショウの交尾を2度ほど見かけましたし、大事に笹薮の中で育てているギョウジャニンニクを鹿に食べられたりもしました。ほかにも、雪解けが異常に早かったり、フェーンのせいもあって5月に猛暑日があったりと、そこそこ気になる出来事がありましたが、何も記録がなければいずれ忘却が覆い被さってくるでしょう。