今から50年前のクリスマスイヴ、当時まだ10代だった我が妻と二人で、岩手県北上警察署の隣にある喫茶店の椅子に沈み込んだ。
他の客は奥の席で賑やかに意味不明の東北弁を喋る6〜7人の男女。店の入り口や窓際にはクリスマスらしい電飾が瞬く。自分のことをオラと明るく言う女の子達の笑い声の合間に男達の熱弁を聞いてみると、どうやら地元の4H倶楽部らしい。警察で「署を出たすぐ隣さつどいがあるからそこで待ってればいい」と言われたそのつどいの呼び名が納得できた。地元の若者達の社交場ということか。ちなみに吉幾三の<オラ東京さ行ぐだ>の歌詞につどいが出てくるのだが、確かこの頃にはまだ発売されていなかった。
何をオーダーして何を食べたのか全く記憶に無いが、しばらくして警官が事故証明を持って来てくれた。
そう、見知らぬ東北の夜の郊外で事故を起こしてしまったのだ。
若気の至りといえばそれまでだが、友達に借りた2トン車でひと儲けしようと本気で考えていた。伊豆でミカンを買い込み北海道で売り捌こうと、北へ向かったまでは順調だった。青森に着く頃には暴風雪でフェリーが欠航。当然そこで足止めとなる。荷台の荷物が高くてモーテルにも入れず、表に停めて寝たら、うかつにも緩めるのを忘れたサイドブレーキのワイヤーが凍りついて悪戦苦闘。このままではミカンが凍れてしまうので市場に持ち込み、二束三文で全部下ろし、かわりに東京行きのリンゴ箱を積み込んだ。
東北自動車道など影も形もない頃のこと、4号線から6号線を経由して青森から東京まで寝ないで走って16時間。
2トン車といっても4ナンバーで荷台も小さく、運送屋が使うようなワイドのロングベッドでダブルタイヤという訳ではない。荷主に言われるままに高く積みあげたリンゴ箱はそれだけで重心が高くなってしまった。
ダブルタイヤなら乗用車の轍にはまることはないが、当時みんなが使っていたスパイクタイヤによって深く掘り込まれた轍は、そこに落ちた後輪の片側だけをを解放してくれず、超スローモーションで助手席側に倒れていった。
当然助手席の彼女は下になり、その上に私が乗りかかるカタチになって、運転席の窓を開けてそこから這い出し、偶然通りかかったクレーン車が車体を起こしてくれた。ドアは凹んだがガラスは割れなかったし自走できる状態だったのは不幸中の幸いか。
積荷のリンゴには保険が掛かっていて、その手続きのために警察で事故証明が必要だった。
先日のこと、恥ずかしい事に雪道でスリップして単独事故を起こしてしまった。言い訳のしようもない自らの慢心が引き起こした物損事故なのだが、その日から昔の夢を見るようになった。うわすべりだった若い頃に戻ってもう一度やり直せたらいいのにと思うこの頃ではあります。