Blog

35年の怠慢

思いかえせば、人類を欺く大きなウソが次々と露見したのは1979年だった。
あの年の3月、フェイ=ダナウェイ主演の映画<チャイナシンドローム>が封切られた。
事故で非常な高熱となった核燃料が原子炉を融かし、土壌や岩盤さえも溶かしながら引力に導かれて地球の内部に向かい、ついには反対側の中国まで貫通するというブラックジョークなストーリーを、多くの観客は余りに荒唐無稽なフィクションとみて、深刻な危機の警告と捉える人はほとんどいなかったに違いない。
しかしその公開からわずか12日後の1979年3月28日、ペンシルバニア州スリーマイル島の原発で、人為的なミスからメルトダウンが現実のものとなる。
それまで、過剰に繰り返される安全神話に染められた我々だったが、偶然と片付けるには気味悪いほどのタイミングに、背筋に寒けを覚えた人も多かったに違いない。

そのスリーマイル原発事故や映画に先立って、我が国では「原発ジプシー」というノンフィクションが堀江邦夫氏によって書かれ同年に発売された。自ら原発作業員として福島第一や敦賀で働く中で、ひどい搾取や労災隠し、使い捨てのような被爆管理など、国策として進められるエネルギー政策のウソや歪みを著作の中で訴えている。今では、ジプシーという語そのものが差別的ということで公的な使用は是とされないが、当時は「石炭から原子力へ」とのスローガンが全国の炭鉱を閉山に追いやり、行き場を失って原発に吸収された炭鉱労働者が、定期点検などで各地の原子炉を渡り歩く実態を端的に言い表した造語だったのだ。

さらにその7年後の1986年4月26日、ソ連邦ウクライナのチェルノブイリ原発で、多くの死者や大量の放射線の拡散を生じさせる事故が起きる。広大な土地を死の町にし、四半世紀を過ぎてもなお人間の接近を拒み続ける。

そして、3年前の3月11日、福島第一原発の過酷事故だ。この周知の事実に関しては改めて触れるつもりもないし、その気にもなれない。
かくある現実に対し、わが政権や電力業界はなりふり構わず再稼働を目指し、経済優先の為にはフクシマを無かったことにさえしたいかのようだ。

この35年間の我が身を振り返ってみると、繰り返し浮上する疑念や怒りや焦りをそのつど自らの中に呑み込み、自己表現としての具体的行動を取る事は無かったことが悔やまれる。
‘79年以前から処理不能の猛毒のウンコや原発立地のウソに気付いていたのにだ。
その間、行き場を失って漂い続ける<もんじゅ>と共に、この狭い日本列島に配置された原発は56基にも増えてしまった。

北電が泊原発の計画を持ち出した頃、抗議のデモに偶然行き当たったことがあるが、ギターや太鼓を打ち鳴らして「ゲンパツハンタイ」を繰り返す喧騒に、たじろぎと「なんか違う」思いを感じ、以来、団体の中に身を置く事は無かった。

受益世代という言葉がある。
数世代先にはウラン燃料が枯渇して原子力発電が終了し、以降の世代が延々と後処理に責任を押し付けられることを思えば、積極・消極、賛成・反対を問わず、将来の世代から見ると今この地球に生きている全ての人類が受益世代ではないか。

知らなかった事、見なかった事にして良いはずは無い、必要なのは人類に対する<誠実さ>だ。

月別アーカイブ