「そんなことにはならないぞ!」
滅多に聞くことはなかったが、今は亡き義父が使う 『俺は認めないし、そんなことは社会が許さない』 というニュアンスの最上級の否定語だった。
戦時中に鉄道省車掌見習いを拝命。助役試験などの企業内資格を努力で突破し、レッドパージの時代や国鉄の分割民営化の混沌を歩き通し、留萌の駅長で勤めを終えてからも、NHKの朝ドラ<すずらん>の駅務アドバイザーを依頼されるなど、国鉄マンとしての一生を貫いた人だった。学歴ではなく、人望を高く評価されたうえでの謂わばたたき上げの管理職だったからか、組合との交渉や部下達との関係でも決して相手を頭から否定することはなく、常識を欠いてなお意地を張り通すような相手にのみ、最後に発する一言が冒頭の言葉だった。
車輌火災、脱線事故、データ改ざん、証拠隠滅と、次から次へと組織のズダボロ状態が明るみに引き出され、経営トップが国会に参考人招致されるような昨今のJR北海道のていたらくを、もし亡父がみたらと思うと、先の言葉「そういうことにはならないぞ!」が聞こえて来る気がする。
国鉄民営化時の混乱に世代の欠落があるとしても、機関区、保線区、車掌区、運転区、電気区、駅などの職域ごとに強固な組織力を持ち、何よりも<誇り>を支えに、それぞれが完璧な仕事をこなして来たはずではないのか。
かつてツルハシやカナテコをレールの下に差し込み、力を合わせて鉄路を作り維持してきた様子から、保線区員はプライドを込め、その掛け声になぞらえて自らを<よっこ屋>と呼んだ。予算が無いからとデータの異常を隠し、その証拠も消して、あげくに脱線とは文字通り常軌を逸している。
全国津々浦々を結ぶはずだった鉄路は、時代に抗えずに支線から次つぎ姿を消し、かつて本線と呼ばれた動脈も、赤字解消の四文字には勝てずに生き残りのみが命題のようだ。
思うようにならない組合問題と肥大化しすぎた組織が民営化を促したとしても、もともと本州太平洋岸や首都圏などの都市部しか黒字が期待できない状況で、強引に分割独立採算に持ち込むには無理があったと言える。さはさりとて、昨今のJRの状況を見て、国鉄OBたちはあまりの情けなさに涙する想いではないだろうか。
晩酌に付き合うたびに、遠くを見るようにして何度も同じ国鉄時代の話をくりかえす。
そんな、鉄道員(ぽっぽ屋)としての義父との時間が好きだった。