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哀しい人々

何年か前に「国家の品格」という新書がミリオンセラーになった。
新田次郎氏と藤原ていさんのご子息の、作家でもない藤原正彦氏の講演録という意外性から手に取り、そして一気に読み終えたのを記憶している。
その新書は知人に廻したので、いま読み返すことはできないが、この時代を生きる我々がどこかに置き去った日本人の心根の潔さや、清貧の思想こそが世界に誇れる質の高さなのだと、改めてこの時代に正論を展開されていたように記憶する。

このところの政治家達の振る舞いや言動にふれて、この「国家の品格」という言葉が哀しく脳髄にこだまする。
円安株高に調子付いて安倍さんが口にした一言が、近隣諸国の傷口に塩を擦り込んだ。
「我が内閣はどんな脅しにも屈しない」とは何に対しての言葉なのか。中国や韓国で反日感情が高まり、理不尽にも日系企業が焼き討ちにあったり、日章旗の焼き捨てや日本製品の不買が起きたりすることは確かにある。だがそれは一部の国民が暴発することで(政権批判をかわすための黙認との見方もあるにはあるが)、国家を代表する首相の発する言葉とは信じ難い。
「先の侵略戦争によってとりわけアジア諸国に・・」という村山談話や河野談話を否定する発言をしておいて、ここ数日形勢を不利と見て言い訳に必死だ。ひもじさも恐怖も縁の無いボンボンには無理からぬ事かもしれないが、抑圧された側の深いキズは忘れようとしても消せるものでは無い。「侵略の定義は後の歴史家の判断を」と、総括のフェードアウトを目論むが、朝鮮半島や満州で日本がやったことは、どう言い繕っても誤魔化せない。名前を奪って日本名を名乗らせ、日本語の使用を強制した事実を、無かったことになどできる訳が無い。
「原発問題は今後3年を掛けてジックリ検討して結論を出す」と論じながら、この秋の再稼働を言い始め、セールスマンよろしくアジアや中東に原発を売り歩く。
正面から憲法を論じて説得することなく、96条をイジッて先ず闇討ちの足場を作ろうとする。
こんなに姑息で品性の無い政治屋が、哀しいことにこの国のトップだ。

ボルサリーノ気取りのミゾーユーな副総理が代表という[みんなで靖国に参拝する国会議員の会]が、また恥ずかしげも無くゾロゾロと靖国神社に参った。この国の礎となった先達を敬う心を言うのなら、心静かに個人で参拝すれば良いではないか。手をつないでトイレに向かう女子中学生じゃあるまいし、まるで赤信号にそろって踏み出すような会の名とその集団行動を、己の美学に照らして恥ずかしいとは思えないのか。

ここ数日の、慰安婦問題で主張を続ける橋下大阪市長に至っては、言葉を重ねるほどに大きく国益を損なわせている。2万パーセント無いと言いながらベロを出して反古にする。批判が出れば大声で自己チューな自論のみを展開する。メディアを最大限利用しながら都合が悪いと攻撃に廻る。選挙で勝てば他国や他人の痛みなど顧みるに値しないとでも言いたいのか。

品性に欠ける政治家たちが、この国の品格を貶めてゆく。

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