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手を揉む

はるか昔、十代の終わり頃のこと。当時住んでいた東京から、転勤で島根から移動した両親を訪ねて鳥取に旅したことがある。
不肖の息子ではあったが、温かく迎えてくれ、夕食が半ばすすんだところで一杯入って機嫌の良さそうな親父から唄が出た。当地に伝わる「貝殻節」だが、ちゃんと聞くのは初めてだったように思う。

 何のォ〜因果で 貝殻漕ぎ習ろうた カワイヤノー カワイヤノ
 色は黒うなる  身は痩せる ヤサホーエイヤ ホーエイヤエーエイ ヨイヤサノ サッサ 
  ヤンサノエ〜エ ヨイヤサァノサッサ

それから、勇んで漁に出る様子、漁を終え、愛しい妻子の待つ港へ帰る様子が2番3番と続く。唄が終わってからだったか、それとも唄の途中だったか定かでないが、それとなく父が解説してくれたのを覚えている。
漁師の娘に道ならぬ恋をした若者が、武士を捨て、刀を艪櫂に持ち替えて・・という物語。貝殻といっても文字通りの貝の殻ではなく生きた帆立貝のことで、カワイヤノは可愛い様子ではなく、むしろ可哀想なという意味合いだとか。

その唄の持つ世界に、なぜか自分の気持ちが寄り添う想いがあって、何度か口ずさむうちに覚えてしまった。とはいっても全くの自己流だ。その後に「正調貝殻節」を聞く機会があったが、あまりのハイトーンな女声と早いテンポに、即座にそれに合わせることを諦め、自分の低い声とゆっくりした調子で良いと勝手に決めた。

その時から20年近い年を経て、定年退職した父と札幌で同居するようになり、正月などの酒の席でどちらからともなくこの唄が出ることがあった。もちろんスローテンポな自己流だったが、ふたりで手を打ち、そして調子に合わせるように打った手を揉んだ。

世の中はカラオケ一辺倒になった。呑み会でカラオケなしに誰かの口から民謡が出ることもなくなり、まして、大勢が車座になって手拍子を打ち、掌を合わせ揉むような情景を見ることはもう無いのだろう。

そしてそんな父も今はもう亡い。だが、やわらかく目を瞑ったまま、気分良く手を揉み唄う父の姿と、漁師に身をやつした侍の孤独と哀しさは、自分の中のずっと深いところで消えることがない。

   

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