そう、ラクーンの尻尾を窓ガラスに貼り付けて出掛けたまではよかった。でも、帰ってきて部屋に入ると大変なことに・・。
締め切ったバスルームの窓には正面から西陽があたり、どれほどの熱が、充分になめされていない生乾きの革に加えられたのか。窓の下に落ちたしましま尻尾からは、呼吸困難になりそうな悪臭が拡散され、半分開いたバスルームのドアから部屋中に充満している。
閉めていったはずのドアが半開きということは・・?
申し訳ないことをしてしまった。留守中に部屋に入ったルームサービスのおばさんが、どれだけ仰天したことか。時間的にはそれほど腐敗が進んではいなかっただろうが、少なくともラクーンの尻尾には驚いて、風呂の掃除もドアを閉めるのも忘れて出て行ったに違いない。
バチはそれだけに留まらない。いつもはキャンプ場に泊まる暮らしなのだが、デンバーは大都市。ちょっと贅沢だけど街の中のホテルにと決めたのがまずかった。
キャンプ場やモーテルでは、当たり前だがクルマのそばに寝る。ホテルの部屋は高層階なのに駐車場は下にあるから、当然クルマとは離れ離れに寝ることになる。
翌朝、駐車場に降りて見慣れた愛車に近づいたとき異変に気付いた。フロントガラスが破られ(割られ、ではない。アラスカのダートロードで割れてしまって、合わせて切り抜いたプラスチック板を応急に張っていた)て、中にあったトラベラーズチェック(旅行者用小切手)等が盗まれていたのだ。
さあそれからが大変。買い物が出来る程度の英語力では、警察に被害届けを書いて出したり小切手の再発行手続きなど出来るわけも無い。
ホテルからの連絡でよこされた日系の警官は、顔は日本人だが日本語は全くできない。往生した彼がそれではと思い付き、でかいパトカーに乗せられて仏教寺院に連れて行かれることになる。そこで仕事をしていたドロシーおばさんは、日本に行った事はないけれど何故か日本語ペラペラで、親切に全ての手続きを済ませてくれた。
小切手は2週間後に行先予定のニューヨークかアトランタの銀行で受け取れることになり、ラッキーにもなんとか旅が続けられることになったのだ。
それにしても忘れられないほど悔しいのは、その時に盗まれた3枚の1ドル銀貨。アラスカの北の果て、ユーコン川のほとりにあるインディアンの交易所でしか交換できないLast Frontierと刻まれたやつだ。
汗かきっぱなしだったデンバーでの数日間。いま想い返せばラクーンのしっぽのバチだったのだろうか。