民主党が日和った。形勢の好転を望めないまま近づく選挙に、少しでもマイナス要因を減らすべく、なりふり構わず迎合のポーズをとりはじめた。
世論の高まりを無視できないとして、これまで「2050年代に原発0を目指す」としていたものを、「2030年代」と言い換え、「高速増殖炉もんじゅ」の廃止も付け加えた。本来であれば両方ともこの国の将来を決定付けることになり、国民的議論の必要な大問題なのだが、どちらにしても、もともと確たるポリシーやビジョンがあってのものでは無いのが判っているから、新聞をはじめ各メディアも大きく取り上げはしない。
「大飯3・4号機の稼働がなければ国民の集団自殺だ」とまで言ったこの政権は、原発なしでもこの夏を乗り越えられた数字に、自ら評価を加えることをしない。加えて、その算定の根拠を明確にしないまま、「原発0なら料金が2倍に」と危機を煽る。
達成目標を掲げないまま原発0を語るのもおかしな話だし、廃炉のプロセスさえ未知の世界なのだ。運転停止から仮に60年といわれる廃炉までの時間を考えれば、2030年代に運転を止めたとしても、完全な廃炉は22世紀に掛かってしまう。
世界中が見切りをつけたのに、日本だけがすがり付いている「もんじゅ」によるプルトニウムの再利用をあきらめるのは良しとしても、これまでの運転で溜まりに溜まった、そしてこれからも溜まり続ける放射性廃棄物をどう処理するのか。六ヶ所村も幌延も瑞浪も今のところ研究施設の位置付けであって、最終処分場に付いては全く闇の中なのだ。
電力使用量についても電気料金にしても、どこまでごまかしを続けるのか。
常に全発電設備をフル稼働した結果の余剰電力という訳ではなく、その時々の需要に合わせ、数%の余力を保つようにコントロールしながら発電しているのだ。
電気料金の根本問題は「総括方式」で、これに手を付けない限り、国民が節電していくら使用量を減らそうがクリーンエネルギーの新規事業者が参入しようが、電力会社の傲慢さに翳りが出ることはない。
政治家は、どうして中身を語らず<見出し>で乗り切ろうとするのか。
政治家という人種は<羊飼いとおおかみ>の童話を知らないのか。