野山にアカシアのフィーバーが始まった。
この木もやはり明治時代に持ち込まれた外来種で、成長が早く、繁殖力が強く、浅く広く根を張るので、主に土壌流失防止や手っ取り早い緑化に利用された。
道民をはじめ多くの人たちがそう呼んではばからないこのアカシアという名は、周知のように正しい名前ではない。本物のアカシアは全く別の種類で、正しくはマメ科のハリエンジュ。本物とは違うという意味で、またの名をニセアカシア。そんなことはみんな知っているくせに、いつまでたってもアカシアの呼び名は変わらない。
マメ科の倣いで種は鞘の中に並んでできるが、その種は情けないほどペッタンコで、豆としてできそこないのように見える。ところがところが、その薄っぺらさこそが、風によってより遠くまで拡散する戦略としての成功をもたらし、高い発芽率や、根さえ残っていれば切られても再生する生命力、それに全身に鋭いトゲを纏うというパーフェクトなインベーダーとして、この100年で北海道は言うに及ばず、東北や信州をはじめ南方を除くほぼ全国に拡散してしまった。
数年前、このアカシアの脅威に気付いた環境庁は駆逐すべき外来種に指定した。確かにこの分布拡大の勢いは、在来種にとって大変な受難といえる。これを受け、札幌市も今後は街路樹としての利用を控えるそうだ。
しかし、少なくとも大半の北海道民は、この駆逐への取り組みを不可能として伐採に賛意を示そうとしない。歌や映画や小説に繰り返し登場することで、札幌とアカシアのイメージがより強まり、ひとりひとりの道民にとって、この1世紀の間に季節に欠かせない存在となって、いわば生活文化の構成要素として定着してしまった。
もうひとつ、声高に言うことを控えてはいるがそれに反対したい勢力がある。養蜂業者と蜂蜜の市場だ。純粋なアカシアの蜜は、百花蜜と呼ばれるその他の蜜とは全く価値が異なり、数倍の価格で取引される。枝が重さで折れるほど大量の花をつけるということは、そこから得られる上質な蜂蜜も大量で、養蜂家の眼にはまるで金の山に見えるようだ。
花期としては2週間ほどだが、この時期、北上してきた全国の養蜂業者が北海道に集中し、1年分の稼ぎの大半をこの間に得る。
まあ、そんな生々しい話はさておいて、小学生の頃聞いた西田佐知子の歌が忘れられない。「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい・・・・冷たくなった私を見つけてあの人は・・」 低く抑えたハスキーな声で、遠くに何かを求めながら手元でピシャッと拒絶するかのような歌に、手の届かない大人の女性を知ったような気がした。