年別アーカイブ: 2016

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となりの灯り

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工房の東側にスキー場があります。 現在の名称はFu's(フッズ)スキーエリアですが、以前は国設藤野スキー場と呼ばれ、札幌オリンピックを覚えている世代には、スキー場としてよりもリュージュやトボガンのコースとしての方が知られているでしょう。石狩川から分かれた豊平川、そのまた支流の簾舞川が流れる大きな沢地形をはさみ、直線距離で2km以上もあるでしょうか。 それでもリフトの支柱に取付けられたスピーカーからのアナウンスが風に乗って聞こえますし、夜になるとこの通り、ライトアップでその存在をひときわ主張しはじめます。 よく晴れた夜は放たれた灯りは天空に向って吸い込まれていきますが、厚い雲に覆われたような日、それも雪を降らせるような雲でなく、空の一定の高さで下界と天上を遮るような時には、雲に跳ね返された光が地表に向って降り掛かってきます。いつもは全く明かりのない工房の周辺でも、周囲の雪明かりと相まって新聞すら読めるほどの明るさにびっくりです。少雪で過ごして来たこの冬ですが、先月のうるう日(29日)を挟んで数年に一度という暴風雪に見舞われ、この後に暖気がきたとしても、予定通り3月末までナイター営業でき

腰痛

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「ウッ!」と、おもわず声が洩れ、そいつはいつも突然現れる。 たいていの場合、踏んばって重い物を抱え上げるような力む体勢ではなく、何気なく腰を屈めて下がりきる直前くらいに、5番目の腰椎あたりから脳髄に向って傷みが駆け上がる。激痛というほどではないのだが、その傷みが我が体幹を支配し、立ち上がろうとする意思を許さない。 「うわア、来たよ。来ちゃったよ!」と、心の中で叫びつつも、この時の自分は情けない。おそらく半分くらいは引きつった笑い顔で、アヘアヘとしゃがみ込み、のろのろと力なく手を伸ばして何か掴まるものを探す。ギックリ腰、椎間板ヘルニア、座骨神経痛、医学的には少しずつ使い方が違うが、まあ要は立てなくなるほどの腰の痛みで共通する。最初にこいつに襲いかかられたのは、二十代の頃だ。熔接で使う酸素が入った100キロのボンベを担いで歩いている時。今でも妙にはっきり想い出す。いきなり腰のあたりに傷みが走って全身の力が抜け、肩の上の重さが身体を地面に押し付けた。悪いことに雨降りの最中で、押しつぶされた場所が小さな池ほどもある水たまりの中。わずか10センチの泥水だったが、溺れるのではないかと必死でボンベを

「二月の匂い」

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手が覚えているような仕事を何気なくこなしている時、耳をすり抜けていくラジオの音にふと懐かしさを覚えて頭を上げた。 曲名も歌手名も、またそれがリスナーのリクエストによるものかさえも聞き逃したが、このやや低めの声は2年前に死んだ稲村一志さんの歌声だ。間違いない。聞こえているのは亡くなる前に録音した「二月の匂い」のようだ。どちらかというと小柄な身体だったが、太い声帯からバリトン歌手のような張りのある声で歌っていたあの頃の姿が蘇る。今は鬼籍に入った人の声を当時のまま耳にするのは、懐かしさとともにちょっぴり後ろめたさを覚えてしまう不思議な気分だ。フォーク全盛の時代に学生でデビユーし、ロックやブルースのなかで生きてきた稲村さん。カントリーが気になったのかそれともプレスリーだったのか聞き漏らしたが、一人旅でテネシーのメンフィスを訪ねたことがあったともいう。ウエスタンハットとあご髭がトレードマークだった。ちょうど2年前の暮れから正月にかけて、山の中のスタジオでラストアルバムになった「Birthday Suite」を録音しながら、誰にも知られずひとり旅立ったという稲村さん。「残す財産とてなく、言葉にすれ

生き抜く力

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大寒を迎え、これから節分にかけての2週間のうちに寒さは底に達し、積雪深も平年値は最高を記録します。 ここ2〜3日続いた960hPaという台風並みの低気圧が、オホーツク沿岸や道東にドカ雪をもたらしました。 とはいえ、札幌近辺だけは例年とそれほど変わらず、今のところ比較的楽な冬を過ごしています。いつもの冬の時間が静かに過ぎる工房周辺ではありますが、音の無い雪原には生き物たちが命の痕跡を縦横に残しています。 画像は50cmもの雪の下のネズミを狙って、キタキツネが掘った穴の跡です。雪の下に感じたネズミの気配に確信を持って、一心不乱に掘り込んだようすが周囲の雪の散らばりようで判ります。首尾よく捕らえて生きる力にできたでしょうか。 エゾシカたちが吹雪を避けて夜を過ごす道路の向こう側の沢地には、何本ものシカ道が出来ているようですし、時々は暗闇に立ち尽くして寒空に哀切な声をこだまさせます。 冬場はあまり活動的でないエゾタヌキの足跡も、好天の朝にはたまに見かけます。脚が短いせいでおなかの跡を柔らかい雪に残しながら、凛とした意思を感じさせるキツネの足跡とは対照的に、あちこち方向を変えつつ遠くの巣穴を目指し

始めた時、終える時 ⑵

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「やいや、大したイイんだワこれ。畑に埋けた野菜取りに行くのに、たんびに雪掘って道つけなくていいもの。」 実家がタマネギ農家という知人に、『よかったら使ってみて』と渡した試作段階のスノーシューを、本人ではなくバアちゃんが愛用してくれていた。 当時のスノーシューのイメージは、アウトドア雑誌が取り上げたように雪上ハイキングのニューアイテムとしてファッション性を前面に押したものだったが、思ってもみないバアちゃんの一言に生活道具としての本来の姿が含まれていた。翌1996年に製品として販売に踏み切ったときには、米国のタブスとアトラスの2社がシェアのほとんどを占め、TSLもMSRもまだ登場しておらず、価格帯も2〜4万円と普及を考えるとやや高価に過ぎた。 とはいえ、初めのうちは作るほどに赤字が増えるほどだったし、材料の選定にも数年間は試行錯誤が続いた。予期せぬデッキ素材の破断でリコールのような状況もあったし、手作業の行程が多くて生産性も悪かった。 それでも、カメラマン・測量士・電力会社・林業関係者など仕事で使ってくれるユーザーが少しづつ増え、山岳救助隊での活用や長野五輪の撮影機材設置のように、作り手と