<ANA羽田・シドニー直行便12月就航記念オーストラリア6日間の旅>の見出しを見つけた家人が、「申し込んでみようか」と、ぽつりと言ったのはたしか9月の初め頃だった。すぐにネットで申し込んだらしいがキャンセル待ちを告げられ、現実味が薄いまま日を過ごすうち、ふいにキャンセルが出たとの知らせ。 留守中の事、この先のことを考えて躊躇はしたが、結論は「じゃあ、思いきって行って来るか!」だった。ずっとまえから、時間をたっぷり作れたら、若い頃にアラスカをカナダをメキシコを走り回ったように、オーストラリアのアウトバックを思う存分クルマで走ってみたいと思っていた。思ってはいたが、それは具体性の無い漠然とした希望で、それは、いうなればあのころへの追憶を含んだ負け惜しみだったのかもしれない。で、この度のシドニー行き。2日のフリータイムにはレンタカーを借りてちょっとでいいからアウトバックに身を置いてみよう。 そんなプランは、資料を検討する内にあえなく潰えることになる。オーストラリアはあまりに広い。1日や2日走っても行き着いて帰って来られるものではなかった。最低でも1週間くらいは必要だ。 そうだ、この時期なら
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40年目のハネムーン
あれはまだ国鉄の頃だったろうか、それともすでにJRに移行していたのか、山口百恵が歌う<いい日旅立ち>をテーマに、デイスカバージャパンのキャンペーンがその頃この国を覆い包んだ。たしかフルムーンというワードもその頃から使われ出したように思う。 そのころは、そんな世界はあまりに遠すぎて、自分にはまったく関係ないとさえ感じていたのだが、いやいや、知らない間にそのフルムーンの歳になっていたとは・・。決して直線ではなかった。文字通り<曲がりなり>に子育てを終え、身体のあちこちに軋みが目立つようになった今、ふと歩みをゆるめて旅行にでも行ってみようかという気になった。「40年ぶりだね、ふたりで旅なんて。」と話しかける家人の声が、年齢以上に軽やかだったからだ。 40年はオーバーだが、ふたりでアメリカ大陸を4万キロも旅したのは、子供が産まれる前だからもう38年もの昔になってしまった。そして昨日、6日間の旅を終えて夏のシドニーから吹雪の札幌へ戻ってきた。もう何年か前なら、返事もせずに首だけを横に振ったと思う。「旅行会社のツアーなんてそんなもの旅じゃない!」と、相手の心さえ見ないようにしながら、自分自身の義務
大雪
12月7日は二十四節気の大雪(だいせつ)。だからという訳ではありませんが除雪機を出すほどのけっこうな降雪でした。 先月の24日にいきなりド〜ンと来た雪は、それからも氷雨になったりこやみになったりしながら降り続き、ウンザリするような日の連続でしたが、昨日今日は穏やかな天気に戻って落ち着いた冬景色が広がっています。積雪状態が2週間以上続くと、その後の雨や暖気などで融けたとしても、その降り始めの日が<根雪の初日>と定義されるということですから、今年は例年よりも2週間ほど早く根雪になってしまいました。エゾリスがドングリの隠し場所を雪の上から確認しようと走り回り、カケスがうるさくつきまといます。ヒグマはうまく冬ごもりができたでしょうか。 工房横のハスカップの雪囲いも間に合いませんでしたし、キノコの種駒を桜のほだ木に埋め込む作業もまだでした。他にもやらなければならないことやろうと思っていることはたくさんあったというのに・・。しょうがない、こうなってしまったからには、悪あがきはあきらめて冬を迎えましょう。
静かな朝
焦がれて待っていた訳ではないのです。その音の無い朝は今日とつぜん訪れました。 北国の生活者なら誰もが幾度となく体験する予感。目覚めた瞬間に呼び覚まされる、古くておぼろな記憶でしょうか。全く音が消えた時の無音の音が聞こえてきます。微細な雪の結晶が天から降りそそぎ、空間に漂う静けさという音さえも捉え込んで地上の白さに封じ込めてしまうからでしょう。耳のずっと奥を、かすかに聞こえるシーーンという音が支配します。 暗闇の中でこらす目を窓の外の白い気配が覆い、起き上がってカーテンに手を掛けるのと同時に、世界が真っ白に変わってしまったことを知らされます。工房から数キロ離れた小金湯の観測点で48センチと、11月の積雪としては62年ぶりのドカ雪だそうです。 ひと月以上も前に白いものを見てから、冬タイヤに履きかえ、夏のあいだに伸びすぎた庭木の刈り込みを済ませて、何となく冬支度を進めているように思っていましたが、このいきなりの大雪が準備不足を思い知らせてくれました。 まだ大丈夫とタカを括っていた除雪機のメンテを慌てて済ませ、ワイパーを冬物に替え、防寒靴をひっぱり出しながら、「やっぱりなあ」とちょっとだけ反省