夜半から明け方にかけての吹雪は、11月に入ったばかりというのに40センチを越える積雪を置いて去りました。 自宅の周りの除雪を手早く済ませて出勤。 時期が早すぎてまだ体勢が整わず除雪が入っていない道路をやっと工房にたどり着くと、40センチどころか膝まで没する真冬のような状況です。 あちこちで雪折れした大木が道路道路を塞いでいます。 地面に押さえ付けられないまでも、まだ葉を落としていないクリやミズナラ、それにエンジュやアカシアのようなマメ科の木は、雪にまとわれつかれて路上に大きくしなだれかかり、フロントガラスに被さります。 写真は工房に置いていたキャンパーですが、これを見てベース車両が判る人はかなりのクルマニアでしょう。 この雪の除雪は手作業では絶対に不可能。除雪機を急遽引っ張り出し、格闘すること数時間。手はしびれ、上半身は汗びっしょりになって、やれやれやっと何とか済ませました。何年か前にも、遅い初雪が今回と同じくらいの積雪になり、結局そのまま融けることなく根雪になったことがありました。 根雪の定義としては、雪積状態が30日以上続き、もしその後に暖気で融けたとしても10日以内
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冬支度 覚え
18日の朝、いつもの通勤ルートの街路樹がこのうえなく鮮やかだったのです。真紅とオレンジと黄金色が快晴の空に負けじと輝いていました。19日。「昨日はカメラを持ってなかったから今日こそは」と期待したのに、木枯らしのせいでハラハラと葉を落としはじめ、たった一日だというのにその見事な紅葉も心なしかくすんで見えて、レンズを向ける気になれませんでした。20日は夕方からしのつく雨でした。そろそろ寝ようかと窓の外を見ると、さっきまでの雨粒が白いものに。そして翌21日、朝目覚めると一面の銀世界。毎年かならずこの時期にやってくる光景ではあるのです。でも今年はちょっと早めでした。そして、これもまた毎年のことですが、この白いヤツは北国の生活者を一気に焦らせるのです。「とりあえずクルマのタイヤを交換しないと、この雪道は夏タイヤじゃ走れない。あ〜あ、やっぱり先週やっときゃ良かったなあ。ワイパーも冬用に換えないと。そうそうスノーブラシとスクレーパーはどこだっけ?家庭菜園のキュウリやトマトは一昨日片付けたからOKだけど、鉢植えの花が雪だらけだよ。」冬を受け入れるための雑事に追われながら、童話の<アリとキリギリス>を思
外食のススメ
我ながらなんとも不謹慎な話ではある。 妻が困難な手術で入院中に<食べ歩き>を書こうとは。 安直にススメとしたが、ほんとに薦めている訳ではなくて、まあ、云うなれば期限付きチョンガーの食事録というところか。非常時である。老いてなお気丈な母や近所に住む息子の嫁、それに嫁いだ娘までもが不自由なオッサンを気遣ってくれるので、その好意を拒絶するようで甚だ恐縮ではあるが、申し訳ない、今回は好きなようにさせていただこう。 普段でも、『今日は外食にしようか?』という場合に、『さあどこにしようか、思い付かない。』ということがよくあるので、『この際だから(何がこの際だからか)あちこち開拓してみよう!』が動機だった。この3週間ほど、毎日(?)仕事を終えてから病院に向い、顔色など確かめた帰路『さあ、なにか食って帰ろう。』とする。 ところが案に相違してこれがそう簡単ではない。本でもネットでも世にグルメ情報はこれでもかというほど溢れまくっているが、まずクルマが駐車できる店舗が限られる。地下鉄やJRの駅周辺に集中する魅力的な飲食店や居酒屋はその点でまずアウト。かねてより駐車可能であることを知っている店以外に、クルマで
雪虫、初雪、過ぎる秋
9月に入っても暑い日が続いていたというのに、今年は早かったんです雪虫を見たのが。 例年なら10月の初旬から中旬の好天の日がその姿を認める初日になるのですが、このところ台風が通り過ぎる度に大陸の寒気を引っ張り込んでくれるので、おもわず身震いするような朝が続くからか、10月を前にしてその小さな虫を鼻息で飛ばないように息を殺して掌にふわっと乗せました。 昨日の朝は、通勤時にいつも何気なく目にする郊外の山並みの山頂部がうっすら白くなっているのを確認しました。ニュースでは標高1000メーターを越える峠道はどこも積雪状態ということです。 今頃、峰々を結ぶ稜線周辺の彩りは、ハイマツの深緑とダケカンバの黄金色、ナナカマドやミネカエデの鮮紅、それに雪の純白が加わって、そこを歩く人のテンションを大きく持ち上げていることでしょう。降りてきた冬の気配に急かされて、下界の樹々も装いを変化させています。 紅葉の一番乗りはヤマウルシ。一日と言えずその葉を紅く変えて景色の中の先駆けを自分に言い聞かせ、季節の旗手の役回りを人手には任せません。 エゾヤマザクラも赤黒くなった葉を順に落とし始めて、その梢をだんだん風が通り易
うれしい便り
仕事を終えて自宅に帰ると、思いがけない人からの荷物が届いていた。 鳥取のO氏からの贈り物は、この季節だからこその二十世紀梨、しかも3Lの秀品。緩衝材でやさしく包まれたその実からは、ナイフを入れなくてもみずみずしさが想像できる。Oさんと初めて会ったのはもう10年以上も前のこと。 Reylaで日本一周中のOさんから修理依頼の電話が入った。浜益の手前、毘沙別の海岸でテン泊しているとのこと。すぐに出かけてなんとか合流はできたが、とても砂浜の上で修理は出来ない。テントを張ったままにし、本人とカヤックを乗せて札幌のわが工房まで戻ってきた。いま想い返せば唐突かつ強引なこちらの申し出に、拉致されるようで不安だったかもしれない。ボトムの修理をしながら、Oさんにはたぶん2日か3日を工房裏の小屋で寝泊まりしてもらったと思う。 この旅に出る前には、何年もかけて世界中を放浪していたという彼の話は興味深く、詳細には覚えていないが、サンチャゴの北にあるバルパライソの安宿の話は、そのあたりを知っていたこともあってずいぶん近しく感じたものだ。 『深夜まで呑んで、貝殻節を弘中さんにつられて唸った夜は旅に出てよかったと・・